任期満了に伴う佐賀県神埼(かんざき)市長選(15日投開票)が8日告示され、元プロレスラーで参院議員も務めた大仁田厚氏(60=無所属)が第一声を上げた。昨年10月にプロレス界を引退し、政治活動に再挑戦。母、巾江(きぬえ)さん(84)の故郷で、恩返しを誓う。4期目の当選を目指す現職の松本茂幸氏(67=自民、公明推薦)との一騎打ち。参院議員時代に国会で「乱闘」した因縁の相手、自由党の森裕子参院議員(61)ら野党の有力議員の支援を得た大仁田氏が勝負に出た。
現職で4選を目指す松本氏との一騎打ち。大仁田氏は「神埼を古いまま残すか、新しくなるかの戦い。絶対に神埼を変えないといけない!」と訴えた。市の「トップセールスマン」となり、子育て支援の充実、ふるさと納税100億円を目指す政策などを掲げた。
神埼市は、大仁田氏にとって思い入れ深い場所だ。昨年9月、同市千代田地区で、九州北部豪雨のチャリティーマッチを開催した。台風だったにもかかわらず集まった観客から「神埼の市長になってくれ」と声を掛けられた。同地区は、母の巾江さんが幼少期を過ごした地という縁もあった。
その後、以前から親交のあった原口一博衆院議員(58=佐賀1区、無所属)の選挙応援で再び神埼を訪れ、市政に関心を持った。課題が山積していた。大仁田氏は「ポテンシャルがあるのに発展していない。子どもも毎年減っている。新しい風が必要だと思った」。原口氏らの後押しもあり、出馬を決意した。
逆風もあった。同市で活動を始めた当初は「よそ者が何をしに来たんだ」とののしられた。事務所には、脅迫文や怪文書も届いたという。大仁田氏は「徐々に支援の輪が広がっている。最近は、子どもや女子中高生も手を振ってくれる」と手応えを感じている。
この日は、国会で激しい“バトル”を繰り広げた因縁の相手、森裕子参院議員が駆けつけた。当時自民党の参院議員だった大仁田氏は03年、イラク関連法案の強行採決で森氏ともみ合いになった。その後、森氏の政治姿勢に賛同した大仁田氏は、党派を超えて選挙活動を応援。森氏は「その時の恩返しをするため」に訪れたという。
森氏は応援演説で「森友・加計問題」や自衛隊イラク派遣部隊の日報問題を引き合いに「神埼市も同じ。最初は30億円と言われた庁舎の建設費が、いつの間にか47億円に膨れあがった。そんなことより、子育て支援が最優先。今、神埼に必要なリーダーは大仁田」と語った。
投開票まで1週間。大仁田氏は「デジタルの時代と言われるが、アナログに人に会って伝えていく。神埼革命を起こすつもり」と意気込んだ。戦いのゴングがいよいよ鳴り響いた。【太田皐介】
◆大仁田厚氏と森裕子氏の乱闘VTR 03年参院外交防衛委員会で、イラク復興支援特別措置法案の強行採決をめぐり乱闘に。自由党の森氏が、委員長の護衛役だった大仁田氏の髪をつかみ、殴りかかった。防戦一方で委員長を守った大仁田氏はこれに抗議し因縁関係になった。大仁田氏の政界引退を機に2人の関係は改善。07年参院選では、大仁田氏が新潟選挙区の森氏の応援に出向いた。森氏は接戦の末、議席を獲得した。
◆大仁田厚氏の政治活動 01年、自民党比例代表から参院選に立候補、約46万票を獲得し、44歳で初当選。文部科学委員会理事、災害対策委員会理事、参議院副幹事長を歴任。07年、自民党を離党し、参院選出馬を辞退。同参院選では「選挙へ行こうキャンペーン」を展開し、党派を超え候補者を応援。国民新党の亀井静香代表代行(当時)の応援演説では、まだ離党を認められていない立場で自民批判を展開し、国民新党へ投票を呼び掛けた。10年に長崎県知事選に出馬も落選している。