サッカー日本代表がワールドカップ(W杯)1次リーグ突破をかけて戦うポーランドは、世界屈指の親日国。その背景には約100年前に、飢えに苦しむ子供たちを日本が保護した秘話があった。

 ポーランドには、「大きな森(ロシア)をはさんだ隣国」という日本への親しみを表す言葉がある。ポーランド広報文化センターの担当者は「日本について悪い印象を持っている人はいないといっていいと思います」と話す。クロサワ映画やキャプテン翼、日本食…。日本文化を受け入れ、浸透するに至った土台は、100年前にさかのぼる。

 1919年(大8)、ロシアのシベリアでは、ロシア革命後の内戦から逃れてきた約20万人のポーランド人が飢えと寒さの中、過酷な生活を送っていた。男たちは義勇軍として戦場に駆り出されるなどしたため、当地には多くの孤児が残された。各国が援助をちゅうちょする中、唯一手を差し伸べたのが日本だった。

 翌20~22年に、船に乗った孤児765人が福井・敦賀港に降り立った。みな、栄養不足でふらふらの状態。日本赤十字社は1人1人に衣服、靴などを新調し、栄養ある食事を支給した。約1年間、日本で健康を取り戻した子供たちは元気に母国へと帰っていったという。この経緯は03年に竹内結子主演のドラマ「ワルシャワの秋」にもなった。

 ポーランド政府はこの縁を忘れず、11年の東日本大震災の際には被災地の中学生をポーランドに招待。19年は日本とポーランドの国交樹立100周年で、20年には孤児上陸から100年も迎える。当時、子供たちを迎えた敦賀市ではシンポジウムやイベントを行う予定という。【高場泉穂】

<ポーランド親日アラカルト>

 ◆杉原千畝 リトアニア領事館領事代理を務めていた1940年(昭15)、ポーランドからリトアニアに逃亡してきたユダヤ避難民に対し「クビになっても構わない。人道上拒否できない」とビザを発給。東日本大震災の時は、在日ユダヤ人組織が義援金を被災地へ送った。

 ◆マンガセンター 古都クラクフには浮世絵、日本美術の収集家フェリスク・ヤシェンスキのコレクションを元にした美術館「マンガセンター」がある。設計は磯崎新氏。

 ◆高倍率の日本語学科 日本の東大にあたる名門ワルシャワ大の日本語学科は倍率30倍の難関。この倍率は国内全大学全学部トップ。

 ◆日本食 ポーランド人はすし大好き。非共産体制となった90年代以降から日本食と生魚を食べる習慣が広まり、今では国内に約300軒超の日本食レストランがある。