奥尻島が震災から再生し新時代を担う若者を育てていく。93年(平5)7月に起きた北海道南西沖地震は、死者・行方不明者230人を出した。最大の被害を受けた奥尻島の人口は、少子高齢化も重なり、被災当時の半数に近い2600人に激減した(19年3月末現在)。16年に町立に移管した奥尻高は全国から「島留学生」を受け入れ、特色ある教育で島の活気を取り戻そうとしている。

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今年4月、奥尻高には島留学生15人を含む31人が入学した。30人を超えるのは03年以来。入学者は町立移管した16年(平28)11人、全国募集を始めた17年(平29)15人、18年(平30)23人と着実に増加している。井上壮紀教頭は「親元を離れて島に来るので、学びたい意欲がとても高い。(相乗効果で)島の子どもたちも成長する」と話す。

93年7月12日午後10時17分、奥尻島を推定震度6の地震が襲った。人口は減少し民間の日本創成会議が14年に発表した「消滅可能性都市」の順位では道内1位、全国4位と厳しい予測がされた。俵谷俊彦前校長(現鹿追高校長)は「島自体は課題だらけ。町の課題に対して高校生が大人と一緒に解決しようとする環境があった」と説明する。

奥尻高は島全体を教育の場として捉える「まなびじま奥尻」プロジェクトを16年に始めた。取り組みの1つが地域が抱える問題にアプローチする「町おこしワークショップ(WS)」。震災前は約5万9000人(91年度)いた観光客は、昨年度は約3万2000人に減少。WSでは観光対策として、どう奥尻島の魅力を発信するかなどを話し合った。井上教頭は「今までそんなことを考えないで生きてきた子どもたちが、自分たちが住む地域にどんなことをできるのかを考え始めた」と変化を語った。

今年から教科横断型の「防災授業」を開始した。「数学」で効率的な避難方法を考え、「体育」で実践、「情報」で成果をまとめるものだ。また町民有志が「島おや、島おじ、島おば」を結成し島外からの留学生の生活を支える。島の中学生も減少し奥尻高の生徒数はまだ楽観視できないが、俵谷前校長は「少子化、地域の高齢化、人口減に伴う産業の伸び悩み。そういうものに大きな明るいインパクトを与えた」。震災を経験した離島の高校の挑戦は、地域振興の新たな形になるはずだ。【浅水友輝】

◆平成の主な北海道の自然災害 93年(平5)1月15日の釧路沖地震は最大震度6を記録し死者2人を出した。94年(平6)10月4日の北海道東方沖地震ではM8・2を記録し、釧路市を中心に負傷者436人の被害を受けた。00年(平12年)3月31日には有珠山が23年ぶりに噴火。1万5815人が避難指示・勧告の対象となったが、人的被害はなかった。18年(平30)9月6日には最大震度7を記録した北海道胆振東部地震が発生し、死者は42人に及んだ(1月28日現在)。