平成の30余年が30日に終わり、天皇陛下が退位される。思い起こされるのは、全国を、世界を旅して人々とふれあい、死没者、戦没者に祈りをささげるお姿だ。なぜ天皇陛下は旅したのか。その意味を近現代史研究者の辻田真佐憲(まさのり)さん(34)が読み解く。
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昨年12月、平成最後、85歳の誕生日会見に臨んだ天皇陛下は、在位30年を「旅」にたとえて振り返りました。戦没者の慰霊、被災地の訪問で全国、世界を巡りました。人々とふれあう旅によって、昭和的な権威とは違う、時代にマッチした天皇像を獲得したと言えます。
ではなぜ、天皇陛下は、そのような旅を続けたのでしょうか。
日本国憲法は、天皇は国民統合の象徴で、その地位は国民の総意に基づくと規定しています。昭和天皇は、戦前は君主であり、60年以上も在位し、権威をまとった存在でした。初めから象徴として即位した天皇陛下は、昭和天皇と違う天皇像を示そうとしたのかもしれません。1989年8月の会見で「現代にふさわしい皇室のあり方を求めていきたい」と述べました。
憲法は、天皇は「国事行為」(首相の任命、国会の召集、栄典の授与など)のみを行うとだけ定めています。国事行為を行うだけの形式的な存在では「国民の総意」を得られないかもしれない。自ら積極的に国民と喜びや悲しみを分かち合い、昭和天皇の負の遺産と向き合う旅に出かけることで、信頼や敬愛の対象たろうと努めたのでしょう。歴代天皇よりも密に国民とふれあう旅。そんな「公的行為」こそ平成流の核心であり、「現代にふさわしい皇室のあり方」だったと私は考えます。
天皇陛下は2016年、退位を表明したビデオメッセージで「皇室が、いかに伝統を現代に生かし、いきいきとして社会に内在し、人々の期待に応えていくかを考え」ている旨、述べました。世界の王室が消えゆく中で、皇統を絶やさず、これからも長く「いきいきとして社会に内在」する。つまり、国民の理解を得て、信頼と敬愛の対象であり続けるための旅でもあった。だから年齢的、体力的に旅を続けられなくなる前に退位する、と決意されたのだと思います。
さて「旅」が平成流だとすれば、令和流は、どんなものになるのでしょうか。
皇太子さまは「水」に強い関心をお持ちで、論文もものされています。水は世界を循環する無国籍な存在です。国際的な取り組みが求められるグローバルな課題と言えます。外交的な発信には適していますが、国内向けのメッセージも欲しいところです。
私は「酒」はどうかな、と考えています。皇太子さまは英国留学中、コーヒーメーカーで、かん酒を楽しんでいたほどの左党と聞いています。「無国籍な水が、土地と結びついて国籍を持つと酒になる」というのが、私の持論です。フランスにはワイン、英国にウイスキー、米国にはバーボンがあって、その国ならではの文化をはぐくんでいます。日本の天皇が、日本の水と国土が結びついた日本酒のように、日本の文化を深めていく。単なる私の想像にすぎませんが、皇太子さまが、どんな天皇像を思い描いているのか。私も楽しみにしています。
【取材・構成=秋山惣一郎】
◆辻田真佐憲(つじた・まさのり)1984年(昭59)8月22日、大阪府松原市生まれ。戦時中の政治や社会、文化や芸術について幅広く研究、執筆を続ける。著書に「天皇のお言葉 明治・大正・昭和・平成」「日本の軍歌」「ふしぎな君が代」など。