11月29日に101歳で死去した中曽根康弘氏は首相在任中、毎週のように東京・谷中にある臨済宗の禅寺「全生庵(ぜんしょうあん)」で座禅を組んだ。

寺は江戸城を「無血開城」した勝海舟と西郷隆盛を仲介した幕末の剣豪山岡鉄舟が明治維新で国に殉じた人々の菩提(ぼだい)を弔うために1883年に建立した名刹(めいさつ)だ。政治家や企業の経営トップら各界の著名人も訪れる。

中曽根氏は多忙の中、決まって日曜日の夜に訪れ、平井玄恭前住職と1対1での座禅に臨んだ。幼い頃から中曽根氏を見つめてきた現住職の平井正修さん(51)は「孫のようなものでした」と当時を懐かしんだ。一般の座禅者が帰り、静まりかえった境内に中曽根氏が姿を見せる。「大きな体で毎回、約1時間半の座禅をされていました。これは一般の方では、かなり長いです」(平井住職)。

寺には中曽根氏が寄贈した書が掲げられている。「大道担然」。鎌倉幕府の5代執権・北条時頼の辞世の句。その末尾だ。政治の頂点を極めた時頼が「目に映る現世という鏡を打ち砕いたら、そこには思いもかけない大きな道が広がっていた」の意味が込められているという。書に幾多の改革を断行した中曽根氏の既存破壊の精神が宿っていた。

安倍晋三首相が座禅に訪れていた時期もあった。「年に2度ほど訪れていましたが、今年はまだありません」(平井住職)。

戦後を代表する元首相は無言の座禅から得ようとしていたものは何だったのか。「何か得るためではなく、いろんなものを捨てに来られていたのでしょう」と平井住職は静かに語った。【大上悟】