東日本大震災による津波で孤立した宮城県気仙沼市の離島・大島で、島民の唯一の足となって活躍した小型船「ひまわり」。昨年4月に運航を終え、船長だった菅原進さん(77)を中心に「震災遺構」として保存する活動が行われてきたが、7日、海を完全に離れて船を保管する記念館の場所に設置された。

記念館は、菅原さんの自宅に隣接する私有地(約300平方メートル)に建設された。「地鎮祭を実施したのが昨年11月。それからずっと準備を進めてきました。この船は昭和63年にできて30年以上、海で働いてきた。これからは、もっと長い年月をここで過ごして、多くの人たちに見てもらうことになる」と、菅原さんはホッとした表情で話した。ただ、移設はしたものの、募金などで集まった金額は約360万円という。「ひまわり」の移設や記念館の基礎工事はできたが、今回、屋根などは作れなかった。

震災直後、定期船が約8カ月も稼働できなかった大島で、人や荷物を無償で運ぶ「ひまわり」だけが孤島の命綱。この奮闘ぶりを米CNNなどの海外メディアが大きく報じ、国内でも小学生の道徳副読本として採用されるなど、「ひまわり」の活躍は広く知れ渡っていた。

屋根はないものの、記念館で、お披露目をするのは来月以降を予定している。40年以上の船長生活を終えた菅原さんは今後、「震災の語り部」として第2の人生を歩むことになる。「あの震災のことは決して風化させてはいけない。特に子どもたちに『ひまわり』を見てもらい、命を大切にすることを学んでほしい」。記念館の壁には、子どもたちの絵を飾るコーナーも設けるという。「『ひまわり』でもいいし、震災のことでもいい。たくさんの絵を飾って、子どもたちと一緒に歩む記念館にしたい」と話している。