難病を抱えつつ、世界一を目指す53歳のパラサーファーがいる。西久保涼子さんは30代後半で「網膜色素変性症」と診断され、今ではトイレットペーパーの芯ほどの視野しかない。それでも2年前から本格的に競技を始め、昨春に日本一になり、昨秋は米国で行われた世界選手権に出場した。5月にはハワイで行われる国際大会に出場予定。32年ブリスベン(オーストラリア)パラリンピック出場を目指し、挑戦を続けている。

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その日、鎌倉・由比ケ浜の波は穏やかだった。西久保さんは夫篤志さん(58)のサポートを受けながら沖に立つ白波を見つめていた。「ここまで波がないのは珍しいです。いいところをお見せできずにすみません」。浜辺に上がってくるなり頭を下げ、律義かつ負けん気の強い一面をのぞかせた。

40歳になる少し前、目の不調に気づいた。最初は「もう老眼が始まったのか」くらいにしか思わず、聞き慣れない病名を告げられてもどこか人ごとだった。しかし、3度目の受診でも結果は変わらず、この先、視力が失われていくことをようやく悟った。

「信じたくない気持ちが強かった。しばらくはダークサイドに落ちました。訪問看護師の仕事は続けましたが、家に帰ったら何もできず、伏せってばかりでした」。仕事で忙しい篤志さんには打ち明けられず、2人の娘にも言えない日々。しかし、もともと活動的だった西久保さんは「このまま家に閉じこもったままでいいのか」と自問自答し、少しずつ前向きな気持ちになっていったという。

海が好きで、篤志さんともスキューバダイビングのスクールで知り合った。サーフィンは趣味程度だったが、2年前にパラサーフィンの体験会をボランティアとして手伝った時に視覚障がいクラスがあることを知り、競技挑戦を決意した。

「目に障がいのある人は外に出ることをためらってしまいがち。そういう人たちに勇気を持ってもらえたら」。持ち前の運動神経の良さで、昨年6月に三重県志摩市で行われた「第3回NSA全日本パラサーフィン選手権」で早くも優勝。同11月に米カリフォルニア州オーシャンサイドで行われた「ISAパラサーフィン世界選手権」の日本代表に選ばれた。

ただ、世界選手権では怖い目にも遭った。大きな波に襲われ、桟橋を支える柱にたたきつけられた。柱とサーフボードの間に左手が挟まり、左ひじが「不自然な形でくの字」に曲がってしまう。その瞬間またも大きな波が来て波間に沈み、死すら覚悟したという。幸い救助され、ケガも左ひじの脱臼で済んだ。今では「救急車で運ばれた病院で治療する前に1500ドル(約23万2500円)を要求されてびっくり」と笑い飛ばす。

国際サーフィン連盟は32年ブリスベン大会での正式種目入りを目指している。西久保さんも同大会の出場が目標だ。世界基準を求め、5月5日からハワイで行われる世界ツアー大会にも参戦する。「そのうち全く見えなく日がくる。それはそれで、どういう人生になるのか楽しみ」。どこまでも前向きな西久保さんの目には、「希望」という未来が広がっている。【沢田啓太郎】

◆西久保涼子(にしくぼ・りょうこ)1972年6月29日生まれ、静岡県伊豆の国市出身。夫婦で同じ趣味を楽しむために30代でサーフィンを始めた。長年看護師として働き、現在は現在は医療法人(社団景翠会)在宅事業部で管理職として働いている。

◆網膜色素変性症 光を感じる網膜の細胞が遺伝的な要因で徐々に機能しなくなる進行性の難病。初期症状は夜盲(暗いところで見えにくい)や視野狭窄(きょうさく)が多く、進行は一般に緩やか。根本的な治療法は確立されておらず、進行を遅らせる薬物療法や遮光眼鏡による対症療法が行われる。

◆パラサーフィン競技 障がいの種類、程度によって9つに分かれ、視覚障がいでは全盲と弱視の2つのクラスがある。採点基準である<1>スピード<2>パワー<3>フロー(滑らかなライディング)に加え、オリジナルのスタイルで演技して得点を競い合う。国際サーフィン連盟は32年ブリスベン(オーストラリア)でのパラリンピック正式種目採用を目指している。