藤田菜七子騎手がデビューした当時、美浦トレセンに報道陣が大挙押し寄せたことは言うまでもない。かくいう私もその“有象無象(うぞうむぞう)”の1人だった。彼女の一挙手一投足がニュースになり、競馬界全体の視線が18歳のかれんな少女に注がれていた。
そんな状況を実にスムーズにさばいたのが、師匠の根本康広調教師だった。殺到する報道陣を順序よく、過不足なく取材させるように導き、菜七子を必要以上に露出することもなく、かといって隠すこともなく、双方のバランスを柔軟に取っていた。コミュニケーション能力の高さだろう。単に取材対応に優れていただけではなく、菜七子の中央競馬デビューより一足先に、地方・川崎での3月3日の「ひな祭りデビュー」を企画し、話題作りに一役買ったのも師だった。
その年(16年)のダービー前、紙面の企画で、かつて師がメリーナイスで勝った87年ダービーの思い出を語ってもらったことがあった。
厩舎で取材中、ちょうど厩舎に菜七子騎手がいたので87年のゴール写真を持ってもらい、師とのツーショット写真を撮った。師は満面の笑み。一方の彼女は本音は「面倒くさいな」だったろうが、「先生の頼みじゃ仕方がないか」といった表情だった。何ともほほ笑ましい間柄が伝わってきたことを覚えている。
私が競馬担当を離れて約7年。いまだに藤田菜七子騎手が厩舎に所属していることは第三者としてはうれしい。彼女が人生の伴侶を得たことで、師もようやく肩の荷が下り、ホッとしていることだろう。【92~00年、12~17年中央競馬担当・栗田文人】

