侍ジャパン首脳陣のソウル宿泊先にも拡声器の音が聞こえる。近くにある徳寿宮の大漢門前。文在寅大統領の側近、■国氏の法相就任反対を訴える人々が集っていた。

一方で日韓関係も混乱を極めていた。渡韓を懸念する声もあった。稲葉監督は「行かないことは考えなかった。スポーツと政治は別」と冷静だったが、物々しさが帯びた9月初旬の韓国リーグ視察だった。

3日の初日。選んだカードは大田市でのハンファ-KIA戦だった。車で往復5~6時間を要した。先発したKIA梁玹種は代表でもSK金広鉉と両輪のエースといわれる。願ったりかなったりの一戦で強行軍は労ではなかったが、韓国球界の目には違って映った。井端内野守備走塁コーチは視察中に情報交換した元中日のサムスン落合投手コーチに言われたという。「大田まで行ったのは、みんなが驚いていた。てっきりソウル周辺の試合ばかりをチェックすると思っていたみたい」。物見遊山で来たわけではない-。認識が広がっていった。

胸襟を開かれた。4日のSK-NC戦は雨天中止。渋滞もあり、1時間半かけた到着寸前に一報が入ったが、稲葉監督は首位を走るSK廉京■監督から貴重な機会だからと会談を申し込まれた。監督室に招かれ、両将がソファに座った。

物腰柔らかい廉監督。人見知りなのか、冒頭の会話に詰まった。思わず通訳が「私ではなく監督からお話ししていただかないと」と促す一幕もあった。ぎこちない空気も、稲葉監督が日本ハム時代の指揮官が、昨季SKを率いたヒルマン監督だったと話を向けた。GMとして同監督とコンビを組んだ廉監督が「今年も続けてもらいたかったが、家族といたいと言われた」と返すと稲葉監督も「私たちの時もそうでした」と笑い、和んだ。

稲葉監督にとって韓国野球のトレンドを聞く好機だった。「韓国リーグは本塁打が減ってますが要因は? 野球の変化はありますか?」。廉監督も理路整然と話を展開した。

「ボールが(飛ばなく)変わった。昨季230本塁打の自分たちが、今年は約50%減った。守りの野球になり、7~9回の救援の重要性が増した。勝ちパターンの3人が1年間を通して投げることは難しい。4~6番手にも力をつけさせ、状態に応じて入れ替える」

データも顕著だ。各球団ともシーズン残り約10試合の16日現在、本塁打は昨季の1756本から961本に激減。逆に救援陣は304セーブ、555ホールドから328セーブ、609ホールドとすでに上回っている。終盤の接戦を数多く経験し、逃げ切りの鍛錬を積んでいる。

稲葉監督にとっては、何よりの生きた情報だった。「韓国球界全体でそういう流れになってきている。プレミア12の60人の予備登録のロースターも中継ぎ、抑えは結構な人数が入っていた。日本とも接戦になっていく。話を聞いて、そんな思いになっている」。卓上の数字を見つめていても、傾向はつかめただろう。だが相手の懐に入り、生で聞く肉声は、実感となって変換される。(つづく)【広重竜太郎】

※1■は十の下に日を二つ縦に並べ、十の縦棒が一つ目の日を貫く

※2■は火ヘンに華