今年も多くの選手たちがプロの世界を去った。第2の人生へ踏み出す彼らを特集する「さよならプロ野球」を、全12回でお届けする。
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第2の人生の1歩目は、大きな1歩になる。西武大石達也投手(31)は戦力外通告を受け、育成スタッフに就任した。1年目の仕事は1年間の米国武者修行。西武が業務提携を結ぶ米メッツとその傘下のマイナー球団でノウハウを学ぶ。「吸収できることは何でもしたい。英語は勉強しなくちゃいけないんですけど」と海を渡る覚悟を決めた。
6球団競合の末に入団し、斎藤、福井と早大ドラ1トリオと注目された。だがケガに見舞われ登板機会が得られない。そんな時、あるうわさが流れた。野手転向を断った-。早大時代に遊撃での出場経験があったから、余計に事実化して広まった。しかし、事実とは違う。実際はリハビリ中に野手の個別練習で行われたフリー打撃に入った際、快音に乗って飛ぶ打球を見た2軍首脳陣から「野手に転向したらどうだ!?」と言われたことに、尾ひれがついたという。大石は「ショートを守ったといっても3年の時ちょっとやっただけ。たまたまそれが早慶戦でテレビで出たけど、プロはそんな甘くない。野手転向なんてまったくなかった」。投手一筋に全力を注いできた。
投手としてやり切ったから、踏ん切りもついた。「5年目以降、クビと言われたらやめると決めていた」。プロ4年目の14年、右肩痛で1軍登板ゼロ。「まったく投げられなくて、終わりだなと思った。それでも翌年、契約してくれた。そこからは1年勝負でした」。覚悟を決めてひたむきに練習に取り組む姿を、周囲は見ていた。大石のメッツ派遣を決めた渡辺GMは「できれば、フロントも現場も両方見てきてほしい。マイナーがどういうふうにやっているのかも含めて。大石ならやれると思ったから決めた」と信頼を寄せる。
大石は言う。「帰ってきた時に、どこでも動けるようにしてきてほしいと言われている。大変だけどやりがいがある」。新天地は海の向こう。またひたむきに大石らしく、力を注ぐ。(この項おわり)【栗田成芳】