野球の国から

ダルビッシュとの出会いで”寄り添う”指導者に

<名伯楽 若生監督に聞く(1)>

3月下旬。新型コロナウイルスの感染拡大で人々が不安な毎日を過ごしていたころ、1人の高校野球指導者が静かに埼玉県の居を引き払い、家族が住む生まれ故郷、宮城県仙台市へと向かった。若生正広氏、69歳。埼玉栄の総監督を務めていたが、3月31日付での退任が決まっていた。

07年に黄色靱帯(じんたい)骨化症を発症。一時は回復し歩けるようになったが、13年に腰を骨折し車いす生活に。近年は持病の糖尿に加え、肝臓がんを発症した。治療を続けながらグラウンドに通い続けたが「野球は70歳までと決めていた。俺の生き方だからね」と現場を退く覚悟を決めた。高校野球指導33年。その指導手腕と今を伝える。

自宅で、東北のDVDを鑑賞する若生氏(撮影・保坂淑子)
自宅で、東北のDVDを鑑賞する若生氏(撮影・保坂淑子)

春夏計11回、選手たちを甲子園へ導いた若生氏にも、指導の転機があった。94年に東北(宮城)監督として甲子園初出場を果たし、以降3回出場も、初戦突破の壁を破れなかった。「何が悪いのか。当時は、自分が先頭に立って『俺についてこい』と選手たちを率いて先頭を突っ走っていたんです。でも、ふと後ろを振り向いたら誰もついてきてなかったんだよね」。独り善がりの指導に気づかされた。「やるのは俺じゃない。生徒じゃないか」。選手たちの先頭から一番後ろに回り、選手が落ちこぼれないよう、しっかりと見つめ支えるようになった。

そのころ出会ったのが、まだ中学生のダルビッシュ有(カブス)だった。イラン人を父に持つ子を、大阪から遠く離れた仙台でどう迎えるのか。技術の高さはもちろん、その生い立ちを調べる中、中3時に地元テレビで放送されたドキュメンタリー番組が目に留まった。幼少期のダルビッシュが、いじめられっ子だったという内容のものだった。若生氏はダルビッシュが東北に入学する前、その映像を同校の職員たちに見せ、こう話したと言う。「今度入学してくるダルビッシュという選手は、これまでとてもかわいそうな人生を送ってきている。この子を受け入れてあげたい。東北高校の生活で『生まれてきてよかった』そう思ってもらえるようにしたい」。

入学後は当時のエースで主将の高井雄平(現ヤクルト)と同部屋に。高井は野球の技術ばかりでなく、人間性や野球に取り組むまじめな姿勢も含め、チームの中心選手だったからだ。高井は「監督から呼ばれ、ダルビッシュを頼むと言われた。それから、東北では『ダルビッシュ』でなく『有』と呼んでやってくれ、と言われました」と振り返る。コンプレックスから解放し、新しい仲間たちとともに、伸び伸びと育てる。選手たちの後ろから包み込む指導で心に寄り添った。03年春には念願の甲子園初勝利を果たし、同年夏には準優勝。心の指導は勝利へと導き、東北を強豪チームへと押し上げた。

ダルビッシュとの出会いと指導者としての成長。「ダルビッシュは、私に指導者としての大きな転機をくれたのかもしれないね」。若生氏は、笑みを浮かべ当時を懐かしく振り返った。(つづく)【保坂淑子】

若生監督の甲子園成績
若生監督の甲子園成績

◆若生正広(わこう・まさひろ)1950年(昭25)9月17日生まれ、宮城県仙台市出身。68年、東北(宮城)3年時、夏の甲子園に主将でエースとして出場。法大、社会人野球チャイルドでプレーした後、埼玉栄の監督を経て93年秋から母校の監督に。春5回、夏2回甲子園に導き03年夏は準優勝。04年に退任し05年から九州国際大付(福岡)で監督を務め、11年センバツ準優勝。15年から埼玉栄の監督、19年から総監督。今春、退任した。

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