社会人野球・日本製紙石巻(宮城)の前田直樹監督(42)は「もう(震災から)10年がたつのか」と振り返った。

2011年3月11日は、JABA東京スポニチ大会(神宮)準決勝だった。当時はまだ現役外野手。試合を終えて東京・八王子市内の宿舎に戻った数分後、震災に見舞われた。勤務する石巻の工場が津波に襲われた瞬間を、知らない。新潟経由でバス移動し、地震発生から3日後、惨状を目の当たりにした。「考えられない光景だった。工場の1階は壊滅的な被害を受けていた」。今でも記憶に残っている。

10年がたち、チーム内でも当時を知る現役選手は1人になった。自身も12年9月に現役引退。1度は東京本社に転勤し、16年1月にコーチとして4年ぶりに石巻に帰ってきた。その年の12月からは監督としてチームの指揮を執るようになったが、一貫して掲げるのは地域に根ざした野球だ。「震災があってより意識するようになった。野球で活躍したり、全国大会に出場すると町全体が盛り上がり、大きな力をもらう」。

毎年「3・11」を説く。新人選手には震災の話を含めて、監督自らが研修を行う。今年からは新しい取り組みとして、会社が作成した「復興への道」のDVDを使用し、言葉だけではなく実際に津波の映像を見せるようになった。「選手に震災を負担にさせたくはないけど、色あせてはいけない出来事。しっかり伝えることが、石巻で活動する意味があると思う」。選手の出身地も沖縄から北海道までにのぼり、震災に対する温度差が出てきた。風化させないためにも、先輩から後輩へと伝承させていく。

この10年で生活は一変した。何よりも愛する家族ができた。13年2月に麻理夫人と結婚。朔太郎くんと子宝にも恵まれ、幸せな日々を過ごす。「私自身いろいろな変化があったけど、家族の存在は大きい。ふと、野球のことを忘れるくらい息子には癒やされています。妻には『とことんやりなさい』と理解してもらい、本当に感謝している」。

節目の10年。特別な1年と位置づける。前田監督は言う。「今年は石巻を含めて被災地がクローズアップされる年。全国に出場する思いは例年以上に強い。活躍すればメディアを通じて、石巻をアピールできる。選手全員が同じ思いで戦う」。目標には創部史上初の2年連続で都市対抗本戦出場。町の復興は着実に進んでいるが、道路の整備など、まだ道半ば。石巻の看板を背負いながら、これからも希望の灯をつないでいく。【佐藤究】

<前田直樹監督の10年>

◆11年3月11日 試合後、都内宿舎近くのコインランドリーで地震に遭う

◆12年9月 現役引退

◆13年2月 結婚

◆16年1月 日本製紙石巻野球部コーチ就任

◆同年9月 長男誕生

◆同年12月 同野球部監督に就任

◆17年7月 監督として初の都市対抗本戦出場

◆同年11月 監督として初の日本選手権出場

◆20年11月 都市対抗本戦出場