全国高校野球選手権大会が100回大会を迎える今夏までの長期連載「野球の国から 高校野球編」。名物監督の信念やそれを形づくる原点に迫るシリーズ2「監督」の第5弾は、帝京(東京)を率いる前田三夫さん(68)です。


 甲子園は78年春の初出場から春14度、夏12度出場し、春は92年、夏は89、95年と、優勝に導くこと3度。甲子園通算51勝は、高嶋仁監督(智弁学園-智弁和歌山)の64勝、中村順司監督(PL学園)の58勝に次ぎ、渡辺元智監督(横浜)に並ぶ歴代3位。名将が歩んできた物語を、全5回でお送りします。


 1月22日から26日の日刊スポーツ紙面でお楽しみください。


 ニッカン・コムでは、連載を担当した記者の「取材後記」を掲載します。



 前田監督が自身の野球人生を語る時、必ず「補欠」という言葉を使う。

 主に三塁手だった帝京大時代は4年間、1度も公式戦出場はできなかった。だからこそ控え選手たちの大切さを理解している。そんな指導方針は、新聞紙上でたっぷりと紹介したい。

 13年に学生野球資格回復制度が導入され、元プロ野球関係者が高校生を指導する道が大きく開かれた。元プロの監督、コーチが増える傾向の中で、前田監督は「補欠出身の指導者」が減ることを気に掛けている。

 「将来何をやりたいと聞くと、みんな指導者ですよ。補欠の子は。レギュラーの子にもいますよ。いっぱい夢を持っている」と言う。

 もちろんプロ出身の指導者が増えること自体を危惧している訳ではない。

 「プロというのはそれだけ実績があるからね。大きく見ればいいかもわからないけど、うまい選手ばかりではないから。支えているのは底辺だから。一番苦労しているのは底辺ですから。その苦労した人が表に立った場合に、またいい野球をするんだよ。そういった期待を込めて言ってやらないと」と続けた。

 高校野球は、プロを目指すトップレベルの選手たちだけのものではない。野球が好きで、地道に汗を流す選手たちもいる。

 「補欠であっても野球から離れないで、野球に携われるようなものを指導者の人は切り開いていってもらいたい。やってもらいたいなと思いますね。今後も大事にしていってもらいたい。長くやってきた人間として、願望はありますね」。

 そんな願いを込めた言葉で、約1時間半の取材を締めくくった。【前田祐輔】