久しぶりにイチロー氏の笑顔が大きく報道されました。「球団会長付特別補佐兼インストラクター」。現役引退以来、日本球界では存在しない役職で活動するイチロー氏が日本人としては初めて球団の殿堂入りを果たしたということです。

そのセレモニーで流ちょうな英語でスピーチするイチロー氏の姿。野球ファンはもちろん、日本人として誇らしく感じた方もいるのではないでしょうか。

さて喜色満面で球団の殿堂入りを果たしたイチロー氏ですが過去、複数回にわたって「国民栄誉賞」の受賞を辞退しています。私が知るところ、イチロー氏と親交のあった安倍晋三元首相から来た水面下のオファーも断ったといいます。

選手の間は「まだ現役だから」という理由で、引退してからも「早いでしょう」などと言ってやんわり断ってきたようです。

独断と偏見で言わせてもらえば、これぞ「謙譲の美徳」を重んじる日本人のあるべき姿ではないか、と思っています。

もちろん過去に受賞された尊敬すべき方々もおられますし、それぞれの事情、理由もあるだろうし、軽々には言えません。

それでも、政府の、いわば人気取りのように感じるこの賞を、イチロー氏がもらう必要があるとは思わないのです。

そんな賞がなくても世界中から猛者が集まる米大リーグで数々の偉業を果たしたイチロー氏は、十分、世界に日本人のプライドを示したと思います。

イチロー氏は「野球は野球」というポリシーも持っています。いつの頃からか、よく災害や事故などで被害を受けた方々に野球、他のスポーツ選手が「プレーで勇気、感動を与える」などと表現する場面をたまに見ます。

私が知る限り、イチロー氏はこれも好みません。

「だって野球、そのスポーツに興味のない人がそんなふうに感じるとは思えないでしょう。ボクらにできることは精いっぱいプレーするだけ。それをどう感じるかは見ている人の感性ですから。『感動を与える』なんて言えないですよ」

そんな雑談をしたこともあります。そういうイチロー氏のバランス感覚をいいなと思うのです。

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話は大きく変わりますが、今、日本は「国葬」で揺れています。政治的な話はこのコラムには似合いませんが、主義主張にかかわらず、現代を生きる立場からも、どうしても頭をよぎってしまいます。

故人を悼む気持ちはもちろんですが、故人を送るスタイルはさまざまにあるでしょう。高額の税金を使用し、国論を二分してまで行う必要が本当にあるのだろうかと、正直、思います。なにより安倍さん自身はどう思うのだろうか、とも。

もっと言えば政界だけでなく財界、実業界、教育界、スポーツ界、あるいは芸能界にも偉大な業績を残し、逝った方々は過去にたくさんいます。これからも続くでしょう。

それこそ日本人に勇気と感動をもたらした、そういう方々に「国葬を…」と言う話になったのは聞いたこともありません。考えてみれば、それも不思議な気がするのは、こちらだけでしょうか。国葬が予定される9月を前にそんなことを考えています。【編集委員・高原寿夫】(ニッカンスポーツ・コム/野球コラム「高原のねごと」)