人口約5000人の長崎・西海市の大島にある県立校の大崎が3-2で延岡学園(宮崎)を下して4強進出を決め、春夏通じて初の甲子園出場を確実にした。清峰や佐世保実で甲子園出場実績を持つ清水央彦監督(49)が18年4月に就任。当時は部員5人で廃部寸前だったチームがメキメキ力をつけて2年連続秋の長崎を制し、今大会は2試合連続逆転勝ちで夢を引き寄せた。4強入りを決めた福岡大大濠、明豊(大分)、宮崎商もセンバツ出場に大きく前進した。

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小さな島の高校が大きな夢をかなえた。大崎がある大島は、風光明媚(めいび)な人口約5000人の島だ。いつも練習に足を運んで応援してくれる地元年配者らのエールも力に、春夏初の甲子園を確実にした。

エース右腕、坂本安司投手(2年)が投打で奮闘した。「いつもおじいちゃんやおばあちゃんが見に来て『頑張って』と声をかけてくれる。地元の応援で盛り上がっているので、勝って恩返しができてよかった」。最高の笑みがはじけた。

9回124球、渾身(こんしん)の2失点完投勝利。最後の打者を二ゴロに打ち取るとガッツポーズを突き上げた。「(甲子園は)目指していたところなので、いろんな気持ちがこみ上げてきて」。2回に暴投で先制点を献上。だが、逆に「1点取られ気合が入った」。自己最速を更新した139キロの直球と決め球のカットボールなどで甲子園準優勝経験校の延岡学園打線を遮断。1点差で逃げ切った。打っても1点リードの6回、左前適時打で自身を援護する追加点を運んだ。

清水監督も快進撃に「生意気ですけど、思ったよりうまくいった」と会心の笑顔を浮かべた。清峰と佐世保実の監督として2度甲子園出場。だが、18年4月に大崎監督に就任した当時は部員5人で廃部危機にあった。だがチームを一から作り上げ、2年連続秋の長崎を制すまでになった。

6回に3点を奪ってひっくり返した後、清水監督は「勝ったら甲子園だぞ」と叫んで鼓舞した。坂本は「清水監督の指導があれば強くなれる。(監督就任の話を聞き)覚悟を決めて(大崎に)行った」と明かす。指揮官も一緒に子供たちと必死に夢を追ってきた。

全校生徒は118人。そのうち野球部員が47人と大半を占める。ほぼ全員が寮生活で、清水監督も苦楽を共にする。一丸の大崎が、島を挙げて甲子園にやってくる。【菊川光一】

◆大崎 1952年(昭27)開校の男女共学県立高校。普通科に118人(女子33人)が学ぶ。校訓は「気魄、克己、英知」。主な卒業生はサッカー元鳥栖の島袋信介ら。所在地は長崎県西海市大島3468の1。酒井俊治校長。

▼大島 長崎県西海市にある島。大島大橋で西彼杵半島と結ばれている。主な産業は造船業、漁業、農業。「大島トマト」は高糖度のトマトとして知られる。05年に大島町など5町が合併し西海市となった。旧大島町の人口は今年9月末現在で4933人。