俊足巧打を高く評価され、阪神からドラフト1位指名を受けた大阪ガス・近本光司外野手(23)は、一体どんな男なのか。日刊スポーツでは「近本光司」の素顔に迫る連載を3回に分けてお届けします。第1回は、周囲の反対を押し切り社(やしろ)高校に進む際に見せた固い決意。東浦中時代に担任した、野球部監督の巽史明先生(45)が素顔を明かします。
1枚の紙切れに、本音を書いた。真っすぐな気持ちを冷蔵庫に貼りつけて、家を出た。淡路島を出るつもりで荷物をまとめ、玄関を飛び出した。
15歳の少年が決意を固めた、人生初の家出だった。
「社で野球がしたい!」
父の恵照さん(よしてる・57)は猛反対だった。次第に口も利かなくなった。父や長男の真一さん(29)、次男の憲亮さん(26)は津名高を卒業。さらに祖父もOBであり、光司も津名高に入学することを望んでいた。ただ、憧れは野球強豪校。光司の「島外の高校に行きたい」という気持ちは自然と強まった。
巽先生 あいつも津名高校へ、ということだったんですが…。「社に来ないか」と森脇さん(当時の監督)に誘われて。とにかく、お父さんが許さなかったんです。だけど、光司は自分の気持ちにウソをつけない男。夢や目標を口に出すタイプではないですけど、かなえるための闘志を胸に秘めていましたね。
父からの「お許し」が出るまでは帰らないと決めた。困惑する父。しかし数日後、そっと紺色のアンダーシャツを差し出した。
巽先生 津名はえんじ色で、社は紺色なんです。次の日、光司は学校に来て「紺をくれたということは…。許してくれたのかも!」って大はしゃぎ。私がお父さんに電話すると「もう、負けましたよ…」と認めていました。島外の高校に行くことは基本的に、なかったんですけどね。
決めた目標に、真っすぐと突き進む。幼いころからそうだった。それから10年、阪神からドラフト1位指名されるほどに成長した。だが、プロ野球選手の他に、本気でなりたかったものもあった。それは警察官でも消防士でも、学校の先生でも、島の漁師でもない。「パティシエ」だった。
巽先生 真剣に、真剣にですよ。パティシエじゃなかったら、パン屋さんもいいと。中学2年で、勤労体験のトライアルがあるんですけど。真っ先に選んだのがパン屋さんです。一生懸命、ずっと、こねてましたよ。パンを。
夢に向かって一直線。目をキラキラと輝かせて、地元で有名なパン屋「フルール」に4日間、通った。洗い物にパンの袋詰め、調理場では、腕まくりして丹念に生地をこねた。
巽先生 普通ね、野球少年なら球場のグラウンドキーパーとかでしょ。しかも、女の子2人と光司ですよ? 3人で。やりたいことに本当、真っすぐなんですよ。
周囲の反応は関係ない。やりたいことを突き詰めて、のめり込む。こだわりが強くて、実直。野球に対する姿勢も、そうだった。好きなことに本気で挑戦しないと、始まらない。あの頃と全く変わらない気持ちで、プロの世界へと羽ばたいていく。(つづく)
◆近本光司(ちかもと・こうじ)1994年(平6)11月9日、兵庫県生まれ、23歳。学習小(仮屋クラブ)、東浦中、社高(3年夏県大会8強)から関学大を経て、大阪ガス入社。法人住宅営業部に所属。今夏の都市対抗では打率5割2分4厘でMVPにあたる「橋戸賞」を獲得。チームを日本一に導いた。50メートル走5秒8、遠投100メートル。170センチ、72キロ。左投げ左打ち。今年3月に中学時代の同級生、未夢(みゆ)夫人と結婚。