ヤクルトの元エース安田猛氏が73歳で死去したことが20日、分かった。 16年12月、小倉(福岡)のコーチに就任。「最後に母校で指導したい」と翌年夏から監督に就任しようとした矢先に胃がんが見つかった。17年3月10日付でコーチを辞任し治療に専念。末期がんと闘ったが力尽きた。

早大、大昭和製紙を経て71年ドラフト6位でヤクルトに入団。「ペンギン投法」と呼ばれたサイドスロー左腕で新人王を獲得。プロ入りから2年連続で防御率のタイトルを獲得したのは稲尾和久氏と2人だけだった。


早大出身

東京6大学野球秋季リーグ戦 早大3-1法大 天王山の法大戦で5安打1失点に抑え完投勝ちした早大・安田猛さん(1968年9月23日)
東京6大学野球秋季リーグ戦 早大3-1法大 天王山の法大戦で5安打1失点に抑え完投勝ちした早大・安田猛さん(1968年9月23日)

大昭和製紙では都市対抗決勝再試合で勝利

第41回都市対抗野球決勝戦再試合 大昭和製紙3-0三菱重工神戸 ゲームセットの瞬間、マウンド上で両手をあげて歓喜のジャンプをする大昭和製紙・安田猛さん(1970年8月3日撮影)
第41回都市対抗野球決勝戦再試合 大昭和製紙3-0三菱重工神戸 ゲームセットの瞬間、マウンド上で両手をあげて歓喜のジャンプをする大昭和製紙・安田猛さん(1970年8月3日撮影)

ヤクルト71年ドラフト6位入団で新人王

ドラフト6位で大昭和製紙から入団したヤクルト安田猛さん(1972年2月撮影)
ドラフト6位で大昭和製紙から入団したヤクルト安田猛さん(1972年2月撮影)
初先発で7回1/3を2安打1失点と好投したヤクルトの新人安田猛さん(1972年4月18日撮影)
初先発で7回1/3を2安打1失点と好投したヤクルトの新人安田猛さん(1972年4月18日撮影)
最終戦を終え、首位打者若松勉外野手と乾杯をする防御率1位のヤクルト新人安田猛投手(左)(1972年10月15日撮影)
最終戦を終え、首位打者若松勉外野手と乾杯をする防御率1位のヤクルト新人安田猛投手(左)(1972年10月15日撮影)

王貞治も幻惑「ペンギン」変則サイド左腕

アトムズの安田猛さん(1973年撮影)
アトムズの安田猛さん(1973年撮影)
衣笠祥雄さん(背番号3)は山田久志から左翼へ2打席連続本塁打を放ち、(右手前から)星野仙一さん、大矢明彦、安田猛さん、王貞治、山本浩二、高田繁らの祝福を受ける。2回の山本浩二の2打席連続に続く連続アベック本塁打で赤ヘルパワーを見せつける(1975年7月19日撮影)
衣笠祥雄さん(背番号3)は山田久志から左翼へ2打席連続本塁打を放ち、(右手前から)星野仙一さん、大矢明彦、安田猛さん、王貞治、山本浩二、高田繁らの祝福を受ける。2回の山本浩二の2打席連続に続く連続アベック本塁打で赤ヘルパワーを見せつける(1975年7月19日撮影)
日本シリーズ第1戦 ヤクルト対阪急 降板したヤクルト安田猛さんはベンチ前で帽子を叩きつけて悔しがる(1978年10月14日撮影)
日本シリーズ第1戦 ヤクルト対阪急 降板したヤクルト安田猛さんはベンチ前で帽子を叩きつけて悔しがる(1978年10月14日撮影)
本塁打を放つ田淵幸一。投手安田猛さん(1977年撮影)
本塁打を放つ田淵幸一。投手安田猛さん(1977年撮影)

ヤクルトのレジェンドの1人…球団設立50周年記念OB戦

ヤクルト球団設立50周年記念OB戦 試合前練習に臨む安田猛さん(2019年7月11日撮影)
ヤクルト球団設立50周年記念OB戦 試合前練習に臨む安田猛さん(2019年7月11日撮影)
ヤクルト球団設立50周年記念OB戦前の記念撮影に臨む、前列左から安田猛氏、小川淳司監督、若松勉氏、野村克也元監督、古田敦也ヘッドコーチ、中西親志スカウト、大野雄次氏。後列左から林昌勇氏、福地寿樹巡回コーチ、アーロン・ガイエル氏、飯田哲也コーチ、西村龍次氏、内藤尚行氏(2019年7月11日撮影)
ヤクルト球団設立50周年記念OB戦前の記念撮影に臨む、前列左から安田猛氏、小川淳司監督、若松勉氏、野村克也元監督、古田敦也ヘッドコーチ、中西親志スカウト、大野雄次氏。後列左から林昌勇氏、福地寿樹巡回コーチ、アーロン・ガイエル氏、飯田哲也コーチ、西村龍次氏、内藤尚行氏(2019年7月11日撮影)