ヤクルトの元エース安田猛氏が73歳で死去したことが20日、分かった。 16年12月、小倉(福岡)のコーチに就任。「最後に母校で指導したい」と翌年夏から監督に就任しようとした矢先に胃がんが見つかった。17年3月10日付でコーチを辞任し治療に専念。末期がんと闘ったが力尽きた。
早大、大昭和製紙を経て71年ドラフト6位でヤクルトに入団。「ペンギン投法」と呼ばれたサイドスロー左腕で新人王を獲得。プロ入りから2年連続で防御率のタイトルを獲得したのは稲尾和久氏と2人だけだった。
早大出身
大昭和製紙では都市対抗決勝再試合で勝利
ヤクルト71年ドラフト6位入団で新人王
王貞治も幻惑「ペンギン」変則サイド左腕
- 衣笠祥雄さん(背番号3)は山田久志から左翼へ2打席連続本塁打を放ち、(右手前から)星野仙一さん、大矢明彦、安田猛さん、王貞治、山本浩二、高田繁らの祝福を受ける。2回の山本浩二の2打席連続に続く連続アベック本塁打で赤ヘルパワーを見せつける(1975年7月19日撮影)
ヤクルトのレジェンドの1人…球団設立50周年記念OB戦
- ヤクルト球団設立50周年記念OB戦前の記念撮影に臨む、前列左から安田猛氏、小川淳司監督、若松勉氏、野村克也元監督、古田敦也ヘッドコーチ、中西親志スカウト、大野雄次氏。後列左から林昌勇氏、福地寿樹巡回コーチ、アーロン・ガイエル氏、飯田哲也コーチ、西村龍次氏、内藤尚行氏(2019年7月11日撮影)