福岡ダイエーホークス(ソフトバンクの前身)の初代球団社長、学校法人福岡工業大学(福岡工業大学、大学院、短期大学部、福岡工大城東高校を擁する)理事長の鵜木洋二(うのき・ようじ)氏が23日、福岡市内の自宅で肺がんのため、80歳で急逝したことが分かった。26日、同大学が発表した。宮崎県出身。

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ダイエーの初代球団社長だった鵜木さんは、球団を去った後も陰から「ホークス」を支えてくれた。社長時代は旧知の柔道家でもある医学博士を講師に招き、選手たちに「スポーツ選手と水分摂取」などについての講義を依頼。スポーツマン社長として経営のみならず、チームをバックアップした。地元福岡工業大学の理事長に就任してからも、何かとホークスを気遣ってくれた。

「本当にありがとう。王さんにまで来ていただいて。野球も武道ですから。しっかりとこの球場で学生たちに人生を学んでほしい」。2012年3月。福岡市東区に開場した福岡工業大学の塩浜グラウンド(FIT球場)の落成式で、ソフトバンク王球団会長がホークス3軍と大学チームの記念試合の始球式を務めた。この年から本格的に3軍制を創設したホークスだったが、当時ファームが本拠地としていた雁の巣球場(福岡市東区)では2、3軍の合同使用はキャパ的に難しかった。新球場誕生に合わせ、快くFIT球場の3軍使用を許可してくれたのが鵜木理事長だった。落成式後に、王さんと記念撮影したときの笑顔が忘れられない。

西武ライオンズのフロントだった根本監督の招聘(しょうへい)にも尽力した。その後につながる王ホークスへの路線を築いたのは、鵜木さんの力があってこそだった。1989年(平元)、ダイエーホークス初シーズンを終えた秋の球団納会は、大分・湯布院で行われた。宴会で選手たちからアイスペールになみなみと注がれたお酒を一気飲みしていた姿が印象深い。それでも翌朝5時にはキリリとした姿で、宿を出る中内いさおオーナーを玄関先で見送っていた。豪快で繊細な人だった。合掌。【佐竹英治】