「日本の4番」から連絡が届いたのは東京五輪真っ最中、8月1日のことだ。

「勇気をもらいました。ありがとうございました」

二松学舎大付の市原勝人監督は鈴木誠也からそう感謝されたのだという。

その日、母校は東東京大会の準決勝で名門・帝京を破っていた。先輩は侍ジャパンの練習日に後輩たちの奮闘をチェックし、力をもらったのだろう。

「どっしりやってこい」

恩師は短い言葉にエールを込めた。すると翌2日、4番は決勝トーナメント初戦の米国戦で特大アーチをかけた。五輪12打席目の初安打で延長10回サヨナラ勝利への道しるべを作った。一方の二松学舎大付は同日、決勝で強豪の関東第一を振り切り、3年ぶり4度目の夏甲子園を決めた。

教え子本人の言葉を借りれば、東京五輪は「なかなかうまくいかず難しい大会」だった。金メダル獲得直後にも「打っても打たなくても優勝できて良かった」と安堵(あんど)しつつ、「フラストレーションはたまりました」と正直に振り返っている。

18打数3安打、打率1割6分7厘。もちろん、責任感の強い男が自身に満足することはないのだろうが、強化合宿初日からの3週間弱はさらなる進化を促す貴重な土台となるはずだ。

日本代表の期間中、グラウンド内外で時間を見つけては仲間と野球談議、打撃論議を重ねていた。坂本に村上に…。相手の名前をあげればキリがない。

「この短期間で技術が向上することはほぼない」と理解した上での行動。「野球は正解がないスポーツ。いろんなことを試して、自分に合うものだったり、聞いたモノが今後に生きてくる可能性もあるので」。日の丸を背負う重圧にも動じない向上心が、未来につながらないわけがない。

世界一に上り詰めた夜、鈴木誠は「すごく収穫のある大会でした」と振り返り、先々に目を向けていた。「こういう悔しい経験は忘れずに。まだシーズンは続くんで、そういうところでぶつけられたらと思っています」。

そんな感情を見透かしたかのように、市原監督は教え子の「お返し」に期待をかける。

「今度は誠也が後輩たちの励みになってくれると思います」

まもなく甲子園初戦を迎える母校と、広島カープの主砲。先輩後輩物語の続きが待ち遠しい。【佐井陽介】