阪神はドラフト1位で高校BIG3の1人、高知・森木大智投手(18)を指名しました。森木投手がプロ野球選手になるまでの軌跡を「森木がゆく」と題し、全10回連載でお届けします。第2回は高知中で記録した軟式150キロまでの道のり。【取材・構成=中野椋】

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「土佐の高岡第二イーグルスにすごいやつがいる」。当時、高知の少年野球界では、うわさになっていた。それを聞きつけ、森木が登板する大会に足を運んだのが当時、高知中軟式野球部を率い、のちに高知高でも指揮を執ることになる浜口佳久監督(46)だ。

「最初に見たのが、あの子が小学5年の時。体は大きいし、しなやかさの中に強さもあった。まだ体が細かったけど馬力もあったので、まだまだ背も伸びるし、のびしろがあるなと思いました」

森木が6年生になり、選抜チーム「高知ボーイズ」でプレーしている最中。「うちに来ないか?」と浜口監督が誘い、練習を見学させた。森木は即決しなかったが、心に決めた。

森木 カバリングであったり、リードの距離であったり、声かけの質であったり。細かいところの質が、高知中は高いと、小学生なりに感じました。ここで野球を突き詰めてやろうと。

16年4月。森木と浜口監督の二人三脚が始まった。3年間のテーマは「柔軟性と体幹とバランス」。ウエートトレーニングは行わず、体をいかにうまく使えるか。そこで役立ったのが「レッドコード」。リハビリ先進国ノルウェーで生まれたエクササイズ器具で、不安定な足場に乗っかりバランスを取りながらスクワット、開脚などを反復した。

さらにフォームの矯正にも励んだ。捕手経験からテークバックが小さい「捕手投げ」になっていた。

浜口監督 能力があるから球は速かったんですけどフォームは大きく使えるように。3年間、何をやったかといえばバランス良く、動画も撮りながらどうしたらボールにしっかり掛かるか。ハマった時の彼の習得する能力はすごかった。

そして3年生となった18年8月2日。四国大会の決勝戦で森木は軟式球で150キロをたたき出す。

浜口監督 中2の夏に140キロ台を出して、そこから毎回149キロ止まり。「出すなら150キロを一気に出せ!」と言ってました。

森木 狙ってましたね。「出す!」と思ってやっていたんで。

浜口監督との3年間で、最後は狙って出した150キロ。その裏で森木には、どうしてもこの日に、大台に乗せたい理由があった。(つづく)

◆森木大智(もりき・だいち)2003年(平15)4月17日生まれ、高知県土佐市出身。高知中では3年時に春夏の全国大会を制覇。軟式で150キロを計測。高知では1年春からベンチ入りし、同年夏からエース番号1。甲子園出場はなし。最速154キロ。184センチ、90キロ。右投げ右打ち。