阪神はドラフト1位で高校BIG3の1人、高知・森木大智投手(18)を指名しました。森木投手がプロ野球選手になるまでの軌跡を「森木がゆく」と題し、全10回連載でお届けします。第3回は、軟式150キロの後に直面した課題について。【取材・構成=中野椋】

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実は、森木が軟式球で150キロを出した18年8月2日の四国大会決勝を最後に、浜口佳久監督(46)の高知高への異動が決まっていた。

浜口監督 ラストゲームということで、疲労困憊(こんぱい)だったんですけど、最後は森木と決めていました。

当然、仲間たちは驚いていた。森木は事前に話を聞いており、「最高の形で送りたいと思っていました」。目標だった150キロを何が何でも出したい一戦だった。試合序盤は遊撃で出場していたことも功を奏してか「体のキレとかが全然違った」と浜口監督は振り返る。恩師にささげる150キロを通過点に、その後は春に続き全国大会も制した。

中学野球が一段落した同年秋には、森木をはじめ高知中のメンバーが、高知高グラウンドで浜口監督の見守る中、再始動。中高一貫の利点を最大限に活用し、さらなるステップアップ期間に位置づけた。そこで森木は1つの壁に直面する。

浜口監督 軟式から硬式への移行は、やっぱり難しさはありましたね。今の軟式球は硬式と同じ大きさですが、森木の時はひとまわり小さい軟式球。大きさの課題と、持っている面が革なのかゴムなのか。

森木 軟式の時は力で投げていた。そうじゃなくてボールに力を伝えるって事がいかに重要かっていうことを硬式球で気づかされました。

1年夏に背番号1を託され148キロをマークしても、「慣れていたつもりが慣れてなかった。何かが1つ足りない状態」と森木は振り返る。同年秋には右肘痛を訴え、実戦から遠ざかった。ただ、浜口監督いわく「1度感覚をつかめば離さない」センスで、硬式球と仲良くなった。

森木 ある時、コツをつかみましたね。めちゃめちゃ感覚なんですけど、リリースの時、体で生み出したパワーを100%で伝えるために「真っすぐ立って、真っすぐ体重を乗せて、真っすぐリリースする」。これに尽きますね。

硬式球への感覚をつかみ、けがも癒えた2年夏は、コロナ禍により夏の甲子園が中止。高知県の独自大会を3年生のみで戦い、森木をかわいがってくれた先輩たちの代が終わると、いよいよ高校最後の1年がやって来た。(つづく)