阪神はドラフト1位で高校BIG3の1人、高知・森木大智投手(18)を指名しました。日刊スポーツでは森木投手がプロ野球選手になるまでの軌跡を「森木がゆく」と題し、全10回連載でお届けします。第4回は最速154キロの誕生秘話。【取材・構成=中野椋】

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高校ラストイヤー、森木は成長意欲の塊と化していた。20年秋の四国大会初戦で高松商に2-5で敗戦。甲子園へのチャンスは3年夏のみ。もっと強くならなくちゃいけない-。そんな気持ちが逆効果に働いてしまったのかもしれない。2月中旬の紅白戦で仲間からメッタ打ちを食らうと、ネット裏で涙をこぼした。

森木 悔しくて、どうしたらいいか分からなくなっちゃって…。

浜口監督 高松商に負けて、もう1回レベルアップをしようと冬場に取り組んで来ていたので、悔しかったんでしょう。

2月は変化球をテーマにしていた時期もあり、指にかからない直球が仲間に痛打された。さらにチームは春季大会のスタメンをかけ「結果を残した者勝ち」のサバイバル期間。野手としての出場を見据えていた森木の気持ちが、はやった。

涙の紅白戦の後日に行われた練習でのこと。ベースランニングの際に左足首を痛め、それを我慢し紅白戦に出場したことがあった。

浜口監督 紅白戦後に「足がヤバイです」と。「ふざけんなよ!」と怒りました。夏の大会だったら別かもだけど、「それは違うだろ」と。あいつの中でけがを甘く見てしまった日だったんじゃないかな。

森木は「無理する時は無理しますけど、長い目で見ることも大事」と反省した一方、「なんか、いい方向にいきそうだな」と意外な心境だった。

その予感は的中する。のちに骨挫傷と診断される左足首の故障後、投球時の左足の踏み込みが“優しく”なった。これこそ森木が目指していた理想型だった。

森木 ずっと優しく踏み込みたいと思っていました。フォームも柔らかくなって制球も安定しましたし、球の勢いも増しました。

「けがの功名」で手にした感覚で、まさかのスケールアップ。そして5月1日、春季四国大会決勝。明徳義塾戦で救援登板すると、自己最速の154キロをたたき出した。従来の最速を2キロ更新。高知中3年時に「狙って出した」軟式球での150キロから、1003日がたっていた。

森木 154キロの時は無意識ですね。そんな出てたんですか…、という感じでした。

涙も故障も力に変え、また1つ大きくなった瞬間だった。(つづく)