阪神はドラフト1位で高校BIG3の1人、高知・森木大智投手(18)を指名しました。日刊スポーツでは森木投手がプロ野球選手になるまでの軌跡を「森木がゆく」と題し、全10回連載でお届けします。第9回は、小学6年から7年間バッテリーを組んだ吉岡七斗捕手(18)が森木を語る。【取材・構成=中野椋】

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いったいどれだけ森木の球を受けて来たのだろう。森木の野球人生を語る上で、吉岡は欠かせない。小学6年から約7年間、2人はバッテリーを組んできた。

出会いは9年前。森木が小学3年で高岡第二イーグルスに入団すると、同地区の加茂スポーツ少年団でプレーしていた吉岡とは、お互いを認識するようになった。小学6年時に初めてキャッチボールをした2人は「一緒にバッテリーを組もう」と誓い、選抜チームの高知ボーイズでプレー。その後、高知中へ進んだ。

小、中学時代の森木は同世代ではかなわない剛速球を投げる一方、精神的にもろい部分もあった。吉岡とは、時に衝突することも。チームのことから配球論に至るまでヒートアップするから、2人きりのブルペンがケンカ場所になる日もあった。ただ、同じ目線で野球に熱くなれる。そんな日常が森木を精神的に大きくさせた。

中学3年時、春夏連覇をかけた宮城・秀光中との全国大会決勝。延長タイブレークの熱戦で吉岡はボールをそらし、同点に追いつかれる場面があった。ぼうぜんとする吉岡の背中を、森木がポンッとたたいた。

吉岡 普段は森木を落ち着かせる立場ですけど、その時は逆転しました。頭が真っ白でしたけど森木のおかげで冷静になれましたし、助けられました。

中学時代敵なしだった2人は、高校に入って苦しんだ。2年秋は四国大会初戦で高松商に敗れセンバツの切符を逃した。最後の夏も決勝で明徳義塾に敗れ涙をのんだ。吉岡いわく「負ける状態が想像できなかった」中学時代から、あと1歩で負け続けた高校3年間。目に見える結果は少なくても、吉岡の左手は森木の成長を誰よりも知っている。

吉岡 とんでもない身体能力を持っている中で、森木はそれをどう使うか考えていた。目に見えない、でも一番伸びにくい「考える力」が成長した3年間だったと思います。能力があったら突き詰めず力任せになってしまうところが、彼はそこがありませんでした。

思いをぶつけ合ったブルペンでの日々が、いつまでも森木の原点になる。(つづく)