中村勝が所属したグアダラハラ・マリアッチスの本拠地は標高が約1500メートル。走るだけで息が切れる感覚も味わうほどの高さだ。
【連載一覧はこちらから】
「標高が高い分、打球も飛ぶし、変化球も曲がりづらくなる。フゥ~っといってしまうので、そういう点でも難しい部分はあった」。
得意としていたカーブやフォークも、最初は思うように変化してくれなかった。
メキシカンリーグは、約半数のチームが高地に本拠地がある。気圧が低く、空気抵抗が少ないプレー環境は打球を遠くへ飛ばす。
投球では変化量が少なくなるため、平均打率は3割を超えるとも言われる。打者天国のリーグである。
キャッチボールから指先の感覚をつかむことで直球のスピード、キレは増した。
変化球は標高が高い球場では「回転が、かかりづらい」と分析。ならば「もっと回転をかけられるようにと思った」。指先の感覚を高めたことが、ここでも功を奏した。縦変化のボールを投げられることが大きかった。
同リーグではフォークを扱う選手は少ない。緩く大きな縦変化のカーブとともに、有効的。無敗のままシーズンを終える快進撃につながった。
ただ、全てが順調だったわけではない。シーズン終盤、新型コロナウイルスに罹患(りかん)。約1カ月間、戦列を離れた。
「最初は微熱くらいで、ちょっと咳が出たくらいだった。重症とかではなく、ほぼほぼ無症状でした」。
同リーグでもNPBと同じように、選手はワクチンを接種してプレー。定期的に検査も行われていた。
「ホームゲームの時に抗原検査は週1回、やっていました。僕の場合は抗原検査の後にPCR検査を受けて、陽性と判明した」。現地ではホテル生活で、その部屋で隔離生活を送った。
「もちろん不安はありました。僕の部屋に、お医者さんが来てくれたりしたのですが、言葉の面で。その先生も英語を話せるので、何となく言ってることは分かるんですけど、
コミュニケーションの部分は1人と、通訳の人がいるのとでは不安度は違いました。ただ、症状としては軽かったので、まだ良かった」
幸いにも症状は悪化せず、後遺症もほぼなかった。その間にチームはリーグ1位でプレーオフ準決勝へ。中村勝も復帰して2試合に先発したが、チームは敗退し、シーズンが終わった。
8勝0敗、防御率3・25で最多勝に最優秀投手を受賞。グアダラハラのオーナーからは「また、会えることを楽しみにしているね」という言葉をもらい、メキシコを後にした。
21年9月に日本へ帰国。20年3月からオーストラリア、メキシコと挑戦を続けてきた体を休めながら、新たなシーズンへ向けてトレーニングを続けている。
「野球はやると思う。それがどこになるかは、まだ考えている段階ですね」。
今しかできないことを求めて突き進んだ2年間。今後も、その気持ちは変わらない。
「NPBから話があれば、もちろんいいですけど。そんなにもう、2年前から、絶対にNPBに返り咲いてやるという感じではなかった。やっていく中でどんどん感覚が良くなってきて、ちょっとだけ、そこの夢を見られるくらいのところまで来たかなっていうくらいではいますけど。必ずしも、NPB復帰のためだけに今やっているということはない」。
異国で続けた野球は楽しかった。「行かないとそうは思わなかった」と、選んだ道に納得している。
「野球を辞めて普通に働くことは、体が動かなくなっても出来る。まずは、後悔がないように過ごすこと。今できることをしっかり自分自身、選択していきたい。今の経験は決して無駄にはならないと思っている」。
自分しか歩めない野球人生を、最後まで全うしていく。【木下大輔】(おわり)