中村勝は17年に右肘のトミー・ジョン手術を受けた。復活途上で19年オフに日本ハムから戦力外となったが、肉体的な不安はなかった。

クラブチームで野球を続ける中で、技術的な進化の兆しをつかんでいた。オーストラリアン・ベースボールリーグ(ABL)の開幕時に球速は自己最速を1キロ更新する148キロにアップした。

右手にメキシカンリーグ、左手にABLのボールを持つ元日本ハムの中村勝
右手にメキシカンリーグ、左手にABLのボールを持つ元日本ハムの中村勝

「技術部分を動かしてみようと思って。感覚がいい球が何球かいくようになったなと。それをやってみようと思ったのがオーストラリアの最後の方でした」



テークバックを改良。早めに右腕を引いて強く振る意識に変えた。日本では平均130キロ台後半。異国で野球と向き合う中で、湧き出たアイデアを試す中で新境地が開けた。


21年1月に開幕したABLはコロナ禍で約1カ月の超ショートシーズンとなった。所属したブリスベン・バンディッツでは6試合に登板。海外ならではの難しさにも直面した。


「先発もやりましたし、中継ぎでも。なんて言うんですかね、あんまり決まっていなくて。いつ投げるのかも正直…」。NPBのように登板予定が確立されておらず、調整が大変な部分もあった。


現地で通った語学学校のおかげで、日常会話も多少はできるようになっていた。完璧ではない中で人の温かさにも触れた。


「僕が外国人ということで、ゆっくりしゃべってくれたり、(話す言葉を)理解してくれたりしていたので、すごいありがたかった」。


遠征時に通訳は帯同しなかった。コーチとのコミュニケーション用に英文を事前に作成してもらうなど、工夫をしながら乗り切った。


外国人選手という立場の大変さを感じながらも、実力は発揮した。7イニング制ながら、完投勝利も記録した。148キロまで上がった球速は「平均値はまだそこまで上がっていなかった」と技術的な進化は、つかみきれていない状況。それでも、登板していた姿が、かつての同僚の目に留まった。


14年から4年間、日本ハムでともにプレーしたルイス・メンドーサ氏(38)だ。知人を通じて「一緒にやらないか」と連絡が来た。

2014年9月25日、日本ハム時代のメンドーサ投手の投球フォーム
2014年9月25日、日本ハム時代のメンドーサ投手の投球フォーム

メンドーサ氏は21年からメキシカンリーグに参戦した新球団、グアダラハラ・マリアッチスのGMに就任していた。1年間有効のビザ、ワーキングホリデーも失効間近の21年2月に正式契約した。


「いろんな場所での経験は、いずれプラスになる」という思いで、オファーを受け入れた。今しかできないことを求めて向かったオーストラリで、次に進むべき道が開けた。日本に一時帰国してから約1カ月後の21年4月に、新天地のメキシコへ飛んだ。【木下大輔】

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