中村勝は21年4月にメキシコへ向かった。
誘われたのは、かつて日本ハムで同僚だったルイス・メンドーサ氏(38)。同氏がGMを務めるグアダラハラ・マリアッチスで野球をするためだ。
メキシカンリーグはコロナ禍で2年ぶりの開催だった。5月の開幕へ向けて、まずは1カ月ほどのキャンプに参加。現地のボールへの対応は苦戦していた。
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【連載3 海外選手の球速の秘密】
「やっぱりボールとかが違うので最初は滑ったりとか。あとは自分自身の感覚も、まだまだな部分もあったので、そういう意味では時間がかかりましたね」
オーストラリアで野球を続ける中で、テークバックを改良。最速は1キロ更新して148キロになった。ただ、安定して、そのスピードを投げることはできていなかった。
さらに、感触が違うボールを操る難しさ。課題山積みのスタートだったが、1人のコーチとの出会いが大きかった。
「エスピノーザというコーチ。ベネズエラ代表のピッチングコーチもやっていたみたいです。自分がコーチをするのなら、こういうコーチになりたいという感じのコーチに出会えた」
指導はいたってシンプルだった。
「全てのピッチャーに共通するものを、ちゃんとしようという考え」。
フォームなどのアドバイスではなく、押さえるべきポイントを絞った指導。フォームをどうするかは自分で考える。「一を教えて十を気付かせる」という形のコーチングは、選手として課題と向き合いやすかった。
エスピノーザからは指先の感覚を大事にすることを言われ続け、キャッチボールへのアプローチが変わった。
「1球目から低く強い球を投げるように、と言われた。それをすることによって指にボールがかかっていくので、指先の感覚がどんどん出てくる。コントロールできない時は指先の感覚がないから。感覚をつかむために、1球目からフワッと抜ける球を投げるのではなくて、強い球を投げていこうと」
日本では肩慣らしから始まるイメージが強いキャッチボール。メキシコで見た光景は違った。「1球目から、どんどん強い球を投げていた」と、キャッチボール前に肩を温め終えている選手が多かった。
実践すると、指先の感覚がどんどん良くなることを実感した。
滑りやすいと感じていたボールも、初球から意識的に低く強いボールを投げることで、徐々にコントロールを苦にしなくなった。
「投球練習でも、抜ける球ではなくて普通に低めに引っかけるぐらいの方が全然いい、と言われた」。1つのポイントだけを意識し続けて取り組んだ。
昔から素朴な疑問があった。「海外の選手の球が速いのは、なんでだろうと思っていた」。
メキシコで目の当たりにしたキャッチボールの風景が、答えの1つかもしれない。
実際に、自身の指先の感覚も研ぎ澄まされ、平均球速は130キロ台後半から140キロ台前半へ上がった。日本ハム在籍時から特長であった伸び上がるような真っすぐの威力も増した。
オーストラリアで手応えがあった、早めのテークバックから強く振り出す技術的な進化要素に加え、安定感をもたらす投球のコツをつかんだ。最優秀投手への土台は、今しかできないことを求めて渡った異国で、築き上げた。【木下大輔】
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