日本ハムは、OBで選手、コーチとして活躍した柴田保光氏が9日午後5時半ごろ、埼玉県内の病院で不整脈のために死去したと10日、発表した。65歳だった。

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千葉の鴨川といえば、ロッテの秋季キャンプ地のイメージだろう。札幌移転前の日本ハムは、春のキャンプ前半を鴨川で行っていた。

そのころ日本ハムを担当していた私は、柴田保光投手とよく「とんかつ屋」に行った。とんかつ屋といっても酒のつまみが充実していて、カツを食べた記憶はほとんどない。お酒をこよなく愛していた柴田さんは、地のものを肴(さかな)に、日本酒をおいしそうに飲んだ。

「これ、食べてみ。お酒がいっぱい進むから」

柴田さんに勧められて初めて食べたのが、房総名物の「なめろう」と「さんが焼き」だった。

なめろうとは、あまりのおいしさに「皿までなめる」と例えられたのが語源の漁師料理。ここのなめろうはアジのたたきにウニをあえたもので絶品だった。さんが焼きは、やはりアジのたたきをシソなどと一緒にこね、ハンバーグのように焼いたもの。熱々のさんが焼きに、しょうゆをちょこっとたらすのが、柴田流だった。

色白の柴田さんはお酒が進むと顔がピンク色に染まり、こういっては失礼だが、とてもかわいらしくなる。どちらか言えば孤高の人で、1人もしくは少人数で飲むのが好きだった。

大抵、かなり酔うまで飲んで、帰りはいつも千鳥足だった。それでも「門限」の午後10時には宿舎に戻り、翌日の練習に備えていた。

担当を離れたあとは会うこともなくなったが、居酒屋でなめろうと、さんが焼きに出くわすたび、柴田さんを思い出した。とんかつ屋のカウンターで、ほおに桜の花びらをつけたような顔をして、楽しそうに飲んでいた姿が忘れられない。合掌。【89~91年日本ハム担当・沢田啓太郎】