広島のエースとして通算213勝を挙げ、16日に65歳で亡くなった北別府学(きたべっぷ・まなぶ)さんの葬儀が19日、広島市内で営まれた。法名は「不動院釋学心(ふどういんしゃくがくしん)」。松田元オーナー(72)や山本浩二元監督(76)ら球団関係者やOBら191人が参列。生え抜き初の名球会投手を送った。

広島一筋に投げ抜いた軌跡をしるす祭壇だった。広島市民球場の写真を背景に「H」が浮かび上がる。家族の写真や手紙に囲まれて故人が眠る棺(ひつぎ)は、カープの赤。はにかんだような笑顔の遺影に向かい、広島カープOB会会長の大野豊氏(67)が「これからも我々はずっと一緒です」と涙で声を詰まらせながら弔辞を読んだ。

前日18日の通夜には、新井監督や黒田球団アドバイザー、大瀬良選手会長らが参列。広美夫人と顔を合わせ、泣き崩れた黒田氏は「エースとしての厳しさをたくさん教えてもらいました。そういう中でたまに見せる優しさ、笑顔は忘れられない」とにじみ出るような温かさを思い、涙に暮れた。16日西武戦の勝利球を届けた新井監督は「ずっと天国から私たちを見守ってくれていると思いながら試合を日々戦っていきたい」と力を込めた。

北別府さんは20年に成人T細胞白血病(ATL)を公表し、末梢(まっしょう)血幹細胞移植を受けた。昨年6月には敗血症にかかり闘病中であることを夫人が明かしていた。不屈の闘病生活を、長男大(ひろし)さん(35)は「1度も後ろ向きな言葉を口にしなかった」と振り返り、病を克服しての「214勝を目指してきましたが213勝でストップしました」としのんだ。棺を乗せた車は旧市民球場跡地も通り、エースは主戦場に別れを告げた。

◆主な参列者 松田元、鈴木清明、山本浩二、安仁屋宗八、外木場義郎、内田順三、達川光男、大野豊、野村謙二郎、小早川毅彦、池谷公二郎、道原裕幸、山崎隆造、山根和夫、小林誠二、木下富雄、長内孝、佐々岡真司、緒方孝市、前田智徳、水本勝己、西山秀二、山内泰幸(順不同、敬称略)