DeNAは21日、藤田一也内野手(41)が今季限りで現役を引退することを発表した。

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「藤田一也」と聞いて真っ先に思い出されるのは、楽天が巨人と戦った13年の日本シリーズ第5戦だ。2勝2敗同士で迎えた10月31日の東京ドーム。この日も「2番二塁」で出場した藤田は、延長10回1死二塁の打席で左ふくらはぎに死球を受けた。もん絶、応急処置を経てグラウンドに戻ったものの、限界に近かった。銀次の勝ち越し打で三塁まで進んだところで交代。ベンチへ引き揚げる藤田の目は真っ赤だった。

試合後、ドームの通路に車いすに乗って現れた。球団初の日本一に王手をかけた高揚感とは相いれない、重苦しい空気が漂ったことを覚えている。だが、藤田の言葉は気丈だった。「大丈夫です。(第6戦も)いけます」。そのとおり、第6戦も、第7戦も「2番二塁」で出場した。

がっぷり四つのシリーズだったが、全7試合で唯一、延長までもつれた1戦で、藤田が見せた気迫は大きかった。ベンチに下がった後、AJことジョーンズの適時打で追加点が入ると、ベンチ裏で治療を受けていた藤田は叫んだ。大声で喜ぶ声がベンチまで届いたという。

死球にめげず、球団初の日本一の瞬間もグラウンドで迎えた。その時、マウンドに立っていたのは田中。その年、前人未到の24連勝を果たしたが、藤田の存在は大きかった。

例えば、6月9日の巨人戦。田中は7回3安打無失点で開幕8連勝を果たしたが、星野監督から「今日は一番悪かった」と評される出来だった。それでも投げ抜けたのは、藤田が好守を連発したことがある。2回2死二塁。内海の打球は二塁ベースよりも左で弾んだ。これを、二塁の藤田が好捕した。根拠があった。「(引っ張れる)内角には放らない」と、あらかじめ二塁よりに守っていた。

カウント、コース、打球傾向などに応じてポジショニングを細かく変えていた。藤田自身は「田中はコントロールがいい。思い切りをつけて守る位置を変えられる」と話していた。失投が少ない分、守りやすい。エースと名手の絆だった。

楽天初の日本一は、藤田が前年途中に加入したことも1つの転機になった。若手中心の内野陣が、試合開始直後にエラーを連発することもあった。それでは勝てない。藤田が加わったことで内野が引き締まり、勝つ形が定まった。そして、日本シリーズで見せたような気迫がチームを盛り上げた。

先日、担当記者の代わりにDeNAの試合を取材した。9月12日の中日戦(横浜)。8回に代打で登場した藤田は二塁へのゴロ。頭から滑り込み、内野安打をもぎ取った。打線がふるわず敗れた1戦で、スタンドが沸いた数少ない瞬間だった。10年たっても、スタイルは変わっていなかった。

昨季のCS最終打席もそう。洞察に基づく冷静な守備と、気持ちあふれる打撃。両極端を併せ持つプレーヤーだった。【11~14年楽天担当=古川真弥】