今季、ソフトバンク藤本博史監督は心身ともに満身創痍(そうい)だった。監督就任時に託された常勝軍団の再建は耐えがたい重圧だった。勝ちたい欲求、でも勝てない現実。そのはざまで苦しみ、我を失いかけた。

5月下旬ごろ、藤本監督は「群発頭痛」を発症した。左目の奥がえぐられるような激しい頭痛だった。やがて痛み止めを持ち歩くようになる。交流戦の最終盤にはヤクルト、阪神とのビジター6連戦。福岡空港にいる藤本監督の手には45回分の鎮痛剤があった。

「夜に寝てても頭痛で2時間に1回は起きるんや。睡眠障害。試合中はアドレナリンで何とかなるけど、試合が終わった途端に左目が痛くなる。どうしたらええねん」

過度なストレスが原因だった。トレードマークだった口周りのひげも少しずつ白い毛が混じってきた。そのたびに黒に染めた。追い打ちをかけるように7月には悪夢の12連敗。通院の末に群発頭痛は収まったが、今でも再発の不安と戦っている。

情緒も不安定になっていた。自分の発言、采配がことあるごとにネットで批判された。「プロ野球の監督に批判はつきもの」。心では分かっていても、人格否定、度が過ぎた罵詈(ばり)雑言だけは許せなかった。見たくなくても、見てしまう。視界に入る否定的な言葉が、藤本監督の精神をむしばんでいた。何げない道を歩いている時でさえ、通りすがる人が自分を批判している人だと思いこんだ。「まぁ批判はいいとしてやな、『クソ髭』とかさ、そういうのはどうなんや…」。言葉の主の顔も分からない。ネットというあまりに大きな“敵”を相手にしてしまった時もあった。

17日、退任会見でこう言った。

「しんどい2年間でしたけど、選手たちはよく頑張ってくれた。楽しい2年間でもありました」

この2年間、残酷な結果が多かった。悲劇を挙げればキリがない。それでも逃げ出さず、休養せず、監督としての任期を全うした。球界の顔、柳田悠岐を育てた藤本博史。「少し、ゆっくりします」。そう言って、静かに81番のユニホームを脱いだ。【ソフトバンク担当=只松憲】

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