来日は実に10年ぶりだったという。先週、久々にクレイグ・ブラゼル氏と再会した。阪神などでド派手なアーチを披露し、7年間にわたって日本でプレー。最後に所属したロッテを退団した14年以来の日本上陸がなんだかうれしかった。

虎2年目の10年にはシーズン47本塁打も記録。「バースの再来」と呼ばれ巨人ラミレスと本塁打王を争っていたシーズン、当時虎番だった記者も毎日のように取材させてもらった。相撲に興じて記者を持ち上げた際にズボンが破れると、数日後に新品の買い物にも付き合ってくれた心優しき長距離砲。人知れず祖父の思いを背負って来日した過去はあまり知られていない。

あれは阪神在籍最終年となった12年だったか。食事の席を共にさせてもらった時、ブラゼル氏は静かに祖父の話を語り出した。

「実はグランパは日本のことが好きじゃなかったんだ…」

ブラゼル氏は米国アラバマ州の野球一家に育った。父テッド・ウィリアムス・ブラゼルはタイガースに8年間在籍した元マイナーリーガー。引退後は6年間マイナーで監督も務めた。父方の祖父ウォルター・ブラゼルも戦前、ニューヨーク・ジャイアンツのマイナーチームに所属していた。“3代目”のクレイグは98年にメッツにドラフト5巡目で指名され、04年にメジャーデビュー。実家には3人のプロ入団時の契約書が飾られている。

ただ、クレイグによれば、祖父ウォルターは志半ばでユニホームを脱いでいる。第2次世界大戦の最中、軍人として米国ハワイ州のパールハーバーで勤務。「彼は真珠湾攻撃で体の85%をやけどしてしまって、2度とプレーできなくなってしまったんだ」。そんな悲しい過去があったというのにクレイグは07年オフ、西武から誘いを受けると日本行きを決断した。祖父の言葉を覚えていたからだ。

「グランパは確かに日本のことが好きではなかった。でも一方でこうも言っていたそうなんだ。『いつか絶対に米国と日本が手を合わせる時が来るから』と。だからオレが日本でプレーすることになって、きっと喜んでいると思うんだ」

祖父は06年に87歳で天国へ旅立った。祖父の名前「ウォルター」をミドルネームで受け継いだ孫は08年に来日。7年間プレーした日本を今も愛してくれているようだ。

4月19日には甲子園でファーストピッチセレモニーを務める直前、日刊スポーツ大阪本社を訪問。愛妻と息子3人の生活をうれしそうに教えてくれた。現役引退後は体に痛みがないこと、子供とよくキャッチボールをすること…。中でも次男のミドルネームを語る表情は特に緩んでいた。

「次男はティップっていう名前で、ミドルネームはコウシエンなんだ」

クレイグは祖父の願いも背負うように、日本との縁を大切にしてくれている。【野球デスク=佐井陽介】

【関連記事】阪神ニュース一覧