「矢沢永吉 RUN&RUN」などの作品で知られる映画プロデューサーの増田久雄氏(73)がラグビーを題材に小説を書いた。戦中の日米豪にまたがる秘話をつづった「栄光へのノーサイド」(河出書房新社)。落語家の立川志の八(45)がこの本に感動し、1時間15分という異例の長尺で演目に取り上げた。日本代表のW杯ベスト8入りの余波のひとつと言えるだろう。盛り上がりを欠いていた大会前にあえて小説を発表した増田氏と、時事ネタとしてこれに乗った志の八。いわば対極の2人に話を聞いた。それぞれに角度の違う視点は、強さだけではない日本ラグビーの魅力、広さを再認識させる。
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-増田さんがこの題材を構想したのは10年前。映画化を前提に石原プロに脚本を持ち込んだのがスタートでしたね。
増田 当時社長だった渡哲也さんからは「先代(石原裕次郎さん)が生きていたらきっと(映画化を)やりたがった」と言われました。高校でラグビーをやっていた舘ひろしさんも脚本を気に入ってくれました。でも、スケールが大き過ぎてなかなか実現には至らなかった。いつの間にかW杯の日本開催が近づき、まずは小説からと書いたのが今回の作品です。
-志の八さんが高座にかけたのはW杯が始まってからですよね。
志の八 初戦のロシア戦の翌日でした。マクラには旬のものを振りたい。そこでラグビーW杯ということになって、いろいろネタを探していたわけです。その準備段階で増田さんの本に行き当たった。読んでみたら、マクラではもったいないお話。そこで、これ1回きり、とお断りして新作として披露させてもらったんです。そうしたら、思いの外ウケがいい。お客さんがどんどん乗ってくれたんですよ。僕が思っていた以上にお客さんはラグビーに魅力を感じていたんですね。
-小説の主人公のモデルとなったのはオーストラリアに生まれた日系2世のブロウ・イデ。戦中にオーストラリア代表(ワラビーズ)で活躍しましたが、志願して出兵後に日本軍の捕虜となり、海上輸送中に米潜水艦の攻撃を受けて亡くなりました。沈没時に自らを犠牲にして乗員を救った行為が「ワン・フォー・オール」のラグビー精神にのっとったものとしてオーストラリアで語り継がれています。
志の八 調べるうちにオーストラリアに「ブロウ・イデ杯」があったくらい偉大な人だと知って、ますます引き込まれました。結果1時間15分の長尺になってしまいまして、通常の寄席ではとてもご披露できない「大作」になった。実は僕もラグビーにはまっちゃって今回のW杯は全試合を見させてもらいました。一番感動したのはスコットランド戦の稲垣(啓太)選手のトライ。フォワードとして自己犠牲を続けてきた人がここぞというところで決めてくれて本当に震えましたね。それから「ノーサイド」という言葉が日本だけのものというのもこの小説で知りました。W杯の試合後の様子を見ていると、これほどラグビーというスポーツを言い当てた言葉もないですね。
増田 実は僕もこの題材を調べている間に知ったんですよ。ブロウ・イデがそのことを知って日系人としての自分のルーツに誇りを持つ、というエピソードに使わせてもらっています。イデはもちろん実在の人物だし、歴史的事実は随所にちりばめてあるんですけど、その間を埋めるフィクションのひとつがそこです。
-敵味方で「ノーサイド」という前に、ラグビーの各国代表はそもそも「混成チーム」感が強いですよね。
志の八 確かに最初に日本代表のメンバーを見たときにどれだけ「外国の人」がいるんだ、というのが正直な感想でした。サッカーの日本代表に比べて格段にハードルが低い。だから、最初はサッカーとラグビーのファン同士やりとりをマクラに、なんて考えていたんです。でも、増田さんの本を読んで、そんな意識が変わりました。日系人のイデが差別されながら、それでもオーストラリア代表に誇りを持つ。捕虜収容所では本来は憎しみの対象でもある日本軍の元ラガーマンたちととにかくラグビーをやりたいという不思議な共感が生まれる。実際にW杯の試合を見ていくうちにどんどん「ノーサイド」の考えが、気持ちが実感として分かってきたんです。
増田 収容所でのラグビーはもちろんフィクション部分なんですけど、いかにもラグビーらしいエピソードだと思っています。今回のW杯で日本、日本人の枠組みのイメージが自然に広がった。リーチ・マイケルはまぎれもなく日本を代表するキャプテンだし、日韓問題が微妙な時期に具智元をいつの間にか懸命に応援していた。そこには抵抗感は無かった。ひとつの目的のためにひたむきに向かう姿に「日本代表」として疑問を感じる人は少なかったと思います。それがラグビーらしいというか、ラグビーの力なんですね。「日本人感」はW杯の前と後で明らかに変わりましたよね。
志の八 このネタを次に披露させてもらうのは12月(21日、横浜関内小ホール)なんですけど、ラグビーはもともと冬のイメージが強いし、どの季節でもいけます。そのうち「昔日本でW杯がありまして-」なんて振りになるかもしれませんが、ずっといける気がしています。大切なネタにしていきたいと思っています。【相原斎】(ニッカンスポーツ・コム/芸能コラム「映画な生活」)
◆増田久雄 1946年(昭21)10月24日、東京生まれ。早大在学中に石原裕次郎さんと出会い、石原プロで映画製作に関わる。フリーとなってから「凶弾」(82年)「ラヂオの時間」(93年)などの作品がある。
◆立川志の八 1974年(昭49)5月24日、神奈川県生まれ。デザイン学校を経て00年立川志の輔門下に。11年、第10回さがみはら若手落語家選手権優勝。17年、真打ち昇進。出ばやしはエイトマン。