12月5日初日の東京・明治座公演「両国花錦闘士」で主役の交代があった。主演予定の伊藤健太郎が10月に道路交通法違反(ひき逃げ)などの疑いで逮捕され、その後釈放されたものの、降板を決めた。そして、代役主演が決まったのがジャニーズJr.の原嘉孝。もともと伊藤演じる昇龍の兄役などで出演予定で、いわば内部昇格だった。

けがや病気による主役の交代は、何度も取材経験はあるけれど、忘れられないのは演劇記者になったばかりの1979年の帝劇「近松心中物語」で起こった交代劇だった。蜷川幸雄さんが演出し、平幹二朗さん、太地喜和子さんが主演した。劇中のラストで、平さんが太地さんを抱きかかえる場面があって、そこで平さんは腰を痛めてしまった。

主役が舞台に出られない非常事態に、制作サイドは大混乱となった。俳優経験もある蜷川さんを代役にと推す声もあったが、蜷川さんは群衆役で出演していた無名の俳優を指名した。本田博太郎。今は、貴重な脇役としてドラマ、映画でも活躍しているけれど、当時は28歳の若手だった。蜷川さんは、アンサンブルの群衆役ながら稽古場で必死に取り組む姿に、本田にかけてみようと決めたのだ。

稽古の時間は少なかった。徹夜で稽古し、相手役の太地さんも寝ずに付き合った。翌日の本番。見ていて、震えが止まらなかった。演技力では平さんの足元にも及ばないけれど、そこには、死に向かって疾走する若者の姿があった。それが蜷川さんの狙いでもあったのだろう。終演後、幼い子供がいたため、見に来られなかった本田の奥さんに電話取材した。舞台裏にいた蜷川さんに「奥さんも喜んでいましたよ」と声をかけると、稽古場で灰皿を飛ばす伝説が作られつつあった鬼の蜷川さんの目は真っ赤だった。

79年には、もう1つ、驚きの交代劇があった。舞台「ドラキュラ」にヒロイン役で出演していた高橋恵子(当時は関根恵子)が恋人の若手作家とともにタイに逃避行したため、市毛良枝がわずか16時間の稽古で、代役を果たした。

舞台に穴を空けた高橋だが、皮肉にも後に舞台の代役を2度も経験した。00年「近松心中物語」では病気降板した冨司純子から梅川役を代役した。10年の野田秀樹作・演出「ザ・キャラクター」では稽古で銀粉蝶が骨折し、高橋は「人ごとでないから」と代役を快諾した。野田と1対1のけいこを重ね、銀の復帰まで9ステージに立った。代役劇にもいろいろなドラマがある。【林尚之】(ニッカンスポーツ・コム/芸能コラム「舞台雑話」)