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蜷川幸雄さん力尽く、死の間際まで演出家のまま

 「世界のニナガワ」と呼ばれた日本を代表する演出家蜷川幸雄さんが12日午後1時25分、肺炎による多臓器不全で都内の病院で亡くなった。80歳。1960年代に俳優から演出家に転向し、180本以上の舞台を演出した。多くの俳優が蜷川演出の洗礼を望み、数々の海外公演も成功させるなど、世界的に高く評価された。最近は車いすで酸素吸入器を携帯しながら演出を行ったが、昨年12月中旬から肺炎で入院していた。

 蜷川さんの力が尽きた。昨年12月中旬、今年1月の舞台「元禄港歌」の稽古中に肺炎と診断され入院。1月上旬には自身の半生を描いた舞台「蜷の綿」の稽古の予定だったが、延期を発表した。3月25日、舞台「リチャード二世」の「悲劇喜劇賞」授賞式は欠席したが、直前に出演者と病室で会い、5月25日初日の舞台「尺には尺を」を念頭に「嫌いなリハビリを頑張り、4月に戻る」と話した。

 リハビリに励み、車いすで病院内を3時間も回った。4月23日に「尺には-」に出演する藤木直人、多部未華子が病室を訪れ、演出プランを聞いた。主治医も「普通なら、とっくに亡くなっている。アスリートみたいな体で、稽古場に行くという気力が命をつないでいる」と驚いた。毎日演出補が病室で蜷川さんの指示を受け、稽古場に帰った。病室で「稽古場に行くぞ」と鼓舞し、枕元には演出予定の台本3冊を置いた。しかし、5月に容体が急変。11日に見舞った演出家野田秀樹氏(60)は「目は開けていなかったけど、『野田さんが来たわよ』という声に、ウーッとか、アーッとか言っていた」と振り返った。12日、妻の女優真山知子(75、本名蜷川宏子)、2人の孫らにみとられて息を引き取った。稽古場に訃報が伝えられると、多部らも泣きだしたという。

 69年に盟友清水邦夫作の舞台「真情あふるる軽薄さ」で俳優から演出家に転身。石橋蓮司、故蟹江敬三さんと劇団を結成したが、74年に市川染五郎(現松本幸四郎)主演「ロミオとジュリエット」で商業劇場に進出。大胆かつ繊細な演出で高く評価されたが、仲間たちに批判され劇団を解散。その後は大劇場を中心に活動。「王女メディア」で初の海外公演、シェークスピア作品「リア王」「NINAGAWAマクベス」を本場英国で上演し、「世界のニナガワ」と呼ばれた。

 木村拓哉を唐十郎作「盲導犬」に起用するなど、ジャニーズ事務所のアイドルを起用した舞台で若いファンを呼び込んだ。芸術監督を務めるさいたま芸術劇場では、55歳以上限定の高齢者を集めた「さいたまゴールド・シアター」、若手俳優の育成を目指した「さいたまネクスト・シアター」を旗揚げした。

 年10本の舞台を演出して第一線で走り続け、体はボロボロだった。90年に胃潰瘍で吐血、97年に心筋梗塞、09年に脳梗塞で倒れ、12年に狭心症で心臓バイパス手術を受けた。14年の香港公演では宿泊先で下血しチャーター機で帰国した。それでも蜷川さんは車いすに座り、酸素ボンベを携帯し酸素吸入器のチューブを鼻に入れた状態で稽古場に通い現役演出家にこだわった。8月に森田剛、宮沢りえ出演の舞台「ビニールの城」、12月に1万人の高齢者の「ゴールド・コンサート」演出を予定したが、ともに予定通り行うという。

 ◆蜷川幸雄(にながわ・ゆきお)1935年(昭10)10月15日、埼玉県川口市生まれ。開成中・高を卒業後、東京芸大美術学部を受験するも不合格。55年に劇団青俳に入団。俳優としてドラマ・映画に出演し、68年に退団して現代人劇場を旗揚げし、69年に演出家デビュー。現代人劇場を解散し、72年に桜社を結成するも、「ロミオとジュリエット」演出をきっかけに桜社も解散。83年「王女メディア」のギリシャ公演成功を機に世界に進出。10年に文化勲章。妻は女優真山知子で、写真家蜷川実花さんら2女をもうける。

<葬儀日程>

▼通夜 15日午後6時から

▼葬儀・告別式 16日正午から、いずれも東京都港区南青山2の33の20、青山斎場で

▼喪主 妻宏子(ひろこ)さん

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