多くの視聴者に勇気や感動を与えたNHK連続テレビ小説「エール」(月~土曜午前8時)が27日、本編の最終回が放送された。

放送を終えて、モデルとなった古関裕而氏の長男・古関正裕氏(74)に感想を聞いた。

-120回、見終わっていかがですか

正裕氏 ドラマの最後に夫婦で歩いていって、足元が若いころ一緒に歩いた海岸の砂浜になっていくラストシーンは、感動的でした。シナリオはとても良く、うまくつくっていただいたなと思います。

-最終回はコンサートという異例の形でした

正裕氏 「長崎の鐘」を最後に歌ったことで、みなさんに生きる希望を与えるエンディングになったと思います。父がこの曲に込めた願いです。ドラマで曲が生まれるエピソードは、ある程度、史実に近く描いてくれていたと思います。「どん底に大地あり」の真意を悟って、「長崎の鐘」が生まれるシーンはまさにそうでした。

-ほかに記憶の残ったシーンはありますか

正裕氏 ドラマの最後で山田耕筰さんがモデルの小山田耕三(志村けんさん)から手紙をもらうシーンがありました。実際には父は山田耕筰さんから手紙をもらったことはありません。その手紙で、父がクラシックで日本を代表する作曲家になれたはずだったと書いてくれたのは、父を高く評価していただいたとありがたく思いました。あと「栄冠は君に輝く」を甲子園のマウンドで佐藤久志(山崎育三郎)が歌ったシーンはジンと来ました。

-全編を通じて感じたことは何ですか

正裕氏 古関裕而がモデルの「エール」は、父のふるさとである福島の復興と、父が「オリンピック・マーチ」を書いた東京オリンピックの2度目の年という視点で、最初は選ばれたと思います。それが不幸なことではありますが、新型コロナウイルス感染症とあいまって、エール(声援、励まし)という役割と意味を持って響いていった。父母がモデルだからではなく、記憶に残る朝ドラになったと思います。

-今後に期待することは

正裕氏 「エール」をきっかけに、若い世代の方々にも古関裕而の曲を聴いていただき、興味を持っていただいた。これからも歌い継がれていくと思いますし、そう願っています。

◆古関正裕(こせき・まさひろ)1946年(昭21)、東京都生まれ。早大理工学部卒。在学中、初期のグループサウンズ「ヴィレッジ・シンガーズ」でキーボード担当。卒業後、日本経済新聞社に入社。09年に古関裕而生誕100年記念CD全集の企画・監修で、日本レコード大賞企画賞を受賞。著書に「君はるか 古関裕而と金子の恋」(集英社インターナショナル)などがある。