イッセー尾形(73)が、一人芝居「イッセー尾形の右往沙翁劇場」に出演する。神戸で11月14~16日に番外編「銀河鉄道に乗ってin神戸」(神戸朝日ホール)、東京で12月5~7日に番外編「銀河鉄道に乗って・すぺしゃるin有楽町」(有楽町朝日ホール)。1人でいろいろなキャラクターの人物を演じて、見る者に訴える独特の芸風で“一人芝居の第一人者”と言われる。尾形のインタビュー連載、第4回をお届けする。【小谷野俊哉】
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子供の頃はテレビっ子だった。
「『ララミー牧場』とかね。そういう洋画みたいなのが好きだった。クレージーキャッツとか『シャボン玉ホリデー』とか、そういうのを見てました。ドラマは三木のり平さんが大好きでした」
中学時代はハンドボール部、高校時代はサッカー部。
「自分は体育会系でないと思ってましたから、ちょっと違った。体育会系は勝負するんですよ。僕は勝負が嫌いでね。今の健康法は、自転車をこぐくらいですね。普段でも外で、40~50分くらい乗っています」
ひたすら1人で演じ続けて、73歳になった。
「いや、単に年ですね。浮世絵の葛飾北斎が70歳になって『俺はこれからだ』って言ってたのが、うらやましいです。やっぱり、まだまだこれから変わっていく。やっぱり人間はね、どこまでも行ける切符じゃないですけど、ここでおしまいってことはないんですよ」
2012年(平24)、還暦の時に40年近く付き合った演出家の森田雄三氏と別れて、フリーになった。進むべき道を見失った。
「お互いに『もう作れないな』って言ってね。それで演出家とは別れたけれど、やっぱり作りたいなと思った。でも何を作ればいいのか、全く分からない。辞めるというのは次の決断なんですが、作るものがないというのが大変な段階でしたね」
一人芝居を“休眠”して、映像作品に軸足を移した。
「そんな時に文豪の夏目漱石と出会って、その一人芝居のお話をいただいた。みんなが知ってる人だから、それに登場しない副登場人物、副登場人物っていっぱいいるんですよ。そこを読んで、勝手に作って一人芝居ですよね。それで息を吹き返したんですね。そういう意味で文豪はすごいなと思います。別れずにやってたら行き詰まってということになるし、別れてみて何もやることないと思っていたら、文豪に会った」
15年に「妄ソーセキ劇場」で一人芝居を再開した。 「文豪だったら無限に優秀な作品がありますから、その隙間というか、そこに何か新しいものを吹き込むことができる。文豪っていうのは、時代関係なく本質を書いてますから、古くならない。そして、世界中で物語を作っている人がいる。興味がありますね。どこから湧いて出てくるのか、どこに行こうとしているのか、大きな物語があるんですね。尽きることはないですね」
73歳になった。一人芝居ずっとやり続けてきた。
「やっぱり布団の中で、ものを書いていきたいです。ボールペンでね。パソコンは、どこまででも作れちゃいます。余計なものも全部作れます。一番作りたいものを作るには、ペンが一番いいです。AIに詳しくなっちゃうと、簡単に作れちゃうから近づかない」(終わり)
◆イッセー尾形(おがた)1952年(昭27)2月22日、福岡市生まれ。都立多摩高卒業後、71年に演劇活動を開始。演劇養成所アクターズスタジオで演出家森田雄三と知り合い、自由劇場、劇団うでくらべ。81年日本テレビ系「お笑いスター誕生!!」で8週勝ち抜いて金賞。81~89年(平元)フジテレビ系「意地悪ばあさん」。85年映画「それから」90年「都市生活カタログ」でゴールデンアロー賞演劇芸術賞。09年NHK連続テレビ小説「つばさ」。18年同「まんぷく」。19年NHK大河「いだてん」。171センチ。血液型A。



