サッカー日本代表が8月31日、ワールドカップ(W杯)出場をかけて埼玉スタジアムでオーストラリア代表と戦う。勝てば来年のロシア行きが決まり、負ければ最終戦でサウジアラビアを相手に過酷なアウェー戦が待っている。ここは“絶対に負けられない戦い”になる。

 誰しも何かにすがりたくなるところだろう。そこで思い出したのが、2010年W杯南アフリカ大会の岡田ジャパンだった。戦前の下馬評は低かったが、ふたを開けてみれば02年日韓大会に並ぶ過去最高のベスト16。その裏で、日本サッカー協会(JFA)のゲン担ぎがあった。

 JFAは、アジア予選で岡田ジャパンのチャーター機に乗務した3戦ですべてに勝ったパイロットに目を付けた。日本航空(JAL)機長の中本洋一さん(56)だった。

 <1>08年9月6日、W杯アジア3次予選 3○2バーレーン(マナマ)

 <2>08年11月19日、同最終予選 3○0カタール(ドーハ)

 <3>09年6月6日、同最終予選 1○0ウズベキスタン(タシケント)


日本航空の中本機長(左)から日本代表岡田監督(右)へ「千羽鶴」が手渡される(2010年5月26日)
日本航空の中本機長(左)から日本代表岡田監督(右)へ「千羽鶴」が手渡される(2010年5月26日)

 そこでJFAは、本大会に向けて日本をたつ代表チームのチャーター便への乗務をJALへ直々にオファーした。機長を指名するのは、異例も異例だった。2010年5月26日未明、壮行試合の韓国戦(0-2、埼玉)を戦い終えたばかりの岡田ジャパンが、羽田空港からW杯直前の合宿地スイス・ザースフェーへと旅立った。その行先を照らす水先案内人となった中本さん。それは日本神話において、山中で迷った神武天皇の軍を大和から熊野へと導いたとされる、日本サッカーのシンボル「八咫烏(やたがらす)」のような役割だろうか。

 くしくも結果、W杯16強(2勝1敗1分け=PK戦は引き分け扱い)という結果である。あの「吉兆機長」は今、どうしているのだろうか。オーストラリア戦を前に会って、当時のことを聞いてみたくなった。


■「たまたまですよ」

 東京・羽田空港。制服姿が似合う中本さんは“不敗神話”について「たまたまですよ」。そう屈託なく笑った。聞きたいことは山ほどあった。

 -実際に(乗務の)オファーが届いた時はどういう思いでしたか?

 「うれしかったですよ、正直。僕ができることは特にないんですけど。安全に定刻にちゃんと目的地に着くことがこの仕事なので、それ以外には僕は何もできないですけど。ただ、できる限りのことはなるべくしようと思いました」

 -その時の思い出は何かありますか?

 「(セレモニーで)岡田監督に千羽鶴じゃなく、あれは八咫烏を織った。社員が全員で八咫烏を織って、それを千羽鶴にして渡しました」

 -運航する上で何か気を付けたことは?

 「選手もスタッフの方も試合直後というのがあったので、なるべく揺らさないように、機内も暗くして静かにして休んでもらえるようにしました。それはCA(客室乗務員)たちにも伝えて徹底しました。それでフライトタイムも長くならないように、そこも気を付けました」

 -フライト時間って、機長の腕一つで変わるものですか?

 「そんなことないですよ。一番大きいのは風ですから、でも、その風の弱いところを飛んでいくというのは、我々と飛行計画をつくるディスパーチャーで『どこ飛びましょう』と決めるんですけど。その(風の)緩いところと、早く着くところを選択して行きました」


サッカーボールを手にする日本航空の中本機長
サッカーボールを手にする日本航空の中本機長

 -結果的にベスト16、PK戦に勝てば8強でしたが

 「やっぱり日本代表は勝ってくれるかな、というのはありました。不敗機長、吉兆機長などと取り上げられて、これで勝てなかったら、中本のせいだって言われるのは嫌だなと。でもあの時の成績が一番良かったので、ホッとしています。それが正直なところです」

 中本さんが初めて日本代表のチャーター便に乗務したのは、ジーコジャパンの05年3月、W杯アジア最終予選のイラン戦でテヘランへ。その試合は1-2と逆転負けしている。一方で07年11月には、アジアチャンピオンズリーグ決勝を戦う浦和レッズのセパハン(イラン)戦のチャーター便に乗務した。アウェーの第1戦を1-1のドローで追えた浦和は、続くホームの第2戦を制して優勝。さらに翌月のクラブW杯で3位に輝いており、吉兆の機長ぶりを発揮している。

 -チャーター便の乗務は、スケジュールを管理する人が意図的に決める?

 「この仕事はどこでも飛べるというのではなくて、やはりあまり知らないところへ行くと我々も困るんで、なるべく知っている人が予選を担当しましょうというと。中東はたまたま、大昔は飛んでいたんですけど、今は飛んでいる路線がないんで担当する人がいない。そのたびに色々勉強して、そこのチャーター便は運航するんですけど。一度行けば、『あっ中本、中東知っているよね。飛び方分かるよね』って言うことで、続けて中東方面を斡旋(あっせん)されるようになって」

 -知らないところだと空港の入り方が分からない?

 「それぞれ空港は違うんですけど、例えば向こうに行くための路線、ルートが似てたりすると、経験者はそこの特徴とかよく分かるので。なので知っている人が飛んだ方が飛びやすいです」


かながわクラブ理事長でありトップチームのGMも務める。オフの日はグラウンドに立つ
かながわクラブ理事長でありトップチームのGMも務める。オフの日はグラウンドに立つ

■サッカーのある日常

 そんな中本さんは「超」が付くほどのサッカー好きだ。プライベートでもサッカーとの結び付きが非常に強い。少し紹介しておくと、現在は幼稚園児から60代のシニア層までの各カテゴリーに加え、ヨガ教室まで備える総合型スポーツクラブ「かながわクラブ」(横浜市、1979年創設)の理事長を務めている。

 今年7月に就任したばかりだが、もともと同クラブ・トップチームのジェネラル・マネジャー(GM)を長く務めており、4年前の13年には神奈川県1部リーグを制し、関東2部リーグへの入替戦にも進出。第1戦を勝利したが、続く決定戦に敗れ惜しくも昇格を逃している。昨年は、スポーツクラブの在り方やマネジメント方法を学ぶため、JFAが主催する「スポーツマネジメントカレッジ(SMC)」を受講し、修了した。

 また、02年のW杯日韓大会の際にはその国際経験を生かし「チーム付きエスコート」のボランティアとして活動。サポートしたブラジル代表が優勝する“強運”にも恵まれ、試合後のロッカールームでスタッフとしてワールドカップを掲げるという経験もした。サッカーへの情熱は並々ならぬものがある。

 「サッカーが好きですから。それに自分が本当にサッカーをやりたかった時に学校にサッカー部がなかったんで『やりたかった、やりたかった』が続いているのがあるんですけど。後は、ちょっとだいぶ古い話ですけどサッカーに出会ったのは小学校5年の時に父親の仕事でロンドンに住んでいて。そのロンドンでみんなでサッカーをしたことが楽しかった。暇があれば来る日もサッカーというのが、今でも忘れられません」


■機長としての“闘い”

 機長という仕事は大勢の乗客の安全を確保するという責任を背負っている。そんな大役は、日本中の期待を背負うハリルホジッチ監督にも通じるものがあるのでは? そこで機長として大事なことをたずねると、こう返ってきた。

 「次に引きずってはいけない。飛行機の中で何か起こった時に引きずっては余計に危なくなってしまいます。そのために定期的に訓練したり、試験を受けたり。それをいろいろ評価されてフィードバックされて。というところで考えると、やはり“切り替えが大切”だと思います」

 さらに「集中」という言葉を強調した上で、自らの仕事の本質にも触れた。

 「例えば、自分が飛行機の中で1番の責任者なら、ちゃんとどういう雰囲気をつくるのか、というのが決め手だと思います。まずはそこからつくっていく。それも一つの“集中”だと思います。いろんなことに気を配って、もっと言えば飛行機まで行くターミナルずっと歩いていて、夏休みだったら、たくさんお客さんがいらっしゃるじゃないですか、みんなその人たちの顔を見て歩くんですよ。『何でこの人たちは僕の飛行機に乗るんだろうな?』と。もしかしたら里帰りかな、こどもたちは遊びに行くのか、って。それで目があった子どもたちとはコミュニケーションを取ります。自分が中心ではないです。自分が全体の中のここにいる、と客観的に見る。見られれば修正ができる。『あっ今の俺はこっちよりだな、こうしよう』と。そういう修正ができるんです。周りを見ないと自分を修正できない」

 何とも深い言葉だった。そこでハリルジャパンへのエールを求めると「エールというより信じていますから。フランスに出場して以来、行くのが当たり前だと思っているので『頑張ってください』としか言えません。絶対に出ると思っていますので」。

 最後にあらためて聞いてみた。来年のロシア大会、再びJFAから指名がかかったら? そう問うと「後輩に譲ります」。しばし笑った後に「その時はその時で考えますよ」。

 “不敗機長”の柔和な笑顔と優しいまなざしに触れ、オーストラリアとの決戦を前に少しポジティブな気分になった。

【佐藤隆志】(ニッカンスポーツコム/サッカーコラム「サカバカ日誌」)