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「平等と反戦の象徴」4度目命日にアリなら何を語る

白人警察官の黒人への暴行死亡事件をきっかけに、全米で抗議デモが広がっている。コロナ禍が黒人やヒスパニック(中南米系)により深刻な被害を及ぼしていることで、人種間格差が浮き彫りになったことも拍車をかけた。今、あのムハマド・アリが生きていたら、何を語りかけるのだろうか。ふと思った。

ムハマド・アリ(1976年6月21日撮影)
ムハマド・アリ(1976年6月21日撮影)

プロボクシング元世界ヘビー級王者である。リングの上で数々の伝説をつくった彼は、王者として24歳の絶頂期にベトナム戦争への徴兵を拒否して、ボクシング界から追放される。彼は会見でこう訴えた。「俺は戦争にはいかない。なぜ黒人の俺が1万6000キロも離れた土地に行って、罪もない有色人種の頭の上に爆弾を落とす必要があるんだ。ベトコンは俺をニガー(黒んぼ)とは呼ばない」。

実はベトナム戦争の兵士に占める黒人の割合は、米国民の割合の2倍も高かった。貧困から逃れるために、やむなく入隊した黒人が多かったのだ。アリの徴兵拒否はそんな社会への反抗でもあった。「白人が始めた戦争になぜ黒人がいかなきゃいけないんだ」とも語っていた。政権側にいるのは白人ばかりで、いつも黒人が従属させられる現状への怒りだった。

アリはたった1人で政府を相手に法廷闘争に踏み切った。今よりずっと黒人への差別意識が強かった時代。その言動は米国民の反感を買い「非国民」のバッシングを浴びた。しかし、ベトナムの戦況が長期化するにつれて全米各地で反戦運動が盛り上がり、いつしかアリの戦いも「聖戦」として若者たちに広く支持されるようになる。そして70年、ついに最高裁で無罪判決を勝ち取る。アリは平等と反戦の象徴になった。

91年4月、米ニュージャージー州アトランティックシティのボクシング会場でアリを見た。彼が姿を現すと、次期世界王者候補の白人ホープの試合中にもかかわらず、観客、つまり黒人も白人も一斉に立ち上がり「アリ、アリ」の大合唱が始まった。それはパーキンソン病を患っていた彼が長い時間をかけて着席するまで続いた。その行動は往年のスター選手の登場を喜ぶというものとは違って、何か特別な敬意、敬愛が込められているようだった。

96年7月に米アトランタで再びアリに遭遇した。オリンピック(五輪)開会式の聖火の最終点火者として聖火台に現れたのだ。すでに歩くことも困難だったが、震える手で点火した瞬間、8万人の大歓声の津波が起きた。人種差別の最も根強かった南部アトランタで「平和と平等の象徴」として喝采を浴びたのだ。この光景に私は「時代がようやくアリに追いついたのだ」と記者席で感慨に浸った。

あれから四半世紀。移民の排斥を掲げるトランプ政権が誕生し、再び人種差別を発端にした抗議デモが広がっている。まるで時代が逆行しているようだ。今、あらためてアリが徴兵拒否をした会見で語った言葉を思い出した。戦争に行くか、刑務所に行くかの問いにこう答えたのだ。「俺にはもうひとつ選択肢がある。それは正義の選択だ。米国に真の正義が浸透すれば、俺は刑務所にも戦争にも行かないだろう」。

今日、6月3日は、16年に亡くなったアリの4回目の命日である。【首藤正徳】(敬称略)(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「スポーツ百景」)

96年7月、アトランタ五輪開会式で最終聖火ランナーを務めたムハマド・アリ
96年7月、アトランタ五輪開会式で最終聖火ランナーを務めたムハマド・アリ

88年入社。バトル、五輪、テニス、サッカーなどを担当。五輪は92年アルベールビル冬季大会、96年アトランタ大会を現地取材。08年北京大会、12年ロンドン大会は統括デスク。サッカーは現場キャップとして98年W杯フランス大会、02年同日韓大会を取材。現在は東京五輪・パラリンピック準備委員。

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