高校野球の東東京大会決勝が8日行われ、帝京が延長戦の末に関東第一を下して優勝した。

インターネットでもライブ中継されたその熱戦を、遠く離れた北海道千歳市から見つめていたのが、日本陸連の五輪競歩強化コーチを務める今村文男氏(53)だ。この日は所属先の富士通の選手らが参加する合宿先で観戦。実は、敗れた関東第一のエースナンバーを背負った好左腕、今村拓哉の父にあたる。

現役時代は日本競歩界の第一人者として歩み続け、日本記録を何度も塗り替えた。五輪(オリンピック)には92年バルセロナ大会、00年シドニー大会と2度出場。引退後は指導者として、昨年の世界選手権で男子50キロ競歩を制した鈴木雄介をはじめ、数々の有力選手を育ててきた。その育成手腕によって現在の競歩日本代表は、東京五輪メダル候補を複数抱えるほど層の厚みを増している。

競歩選手を鍛えるかたわら、父としては、甲子園出場を目指す次男を温かく見守ってきた。「野球の技術的なことは教えられない」というものの、日々の体調管理や試合前後の体のケアについて、寮生活を送るわが子に手紙などを通じて助言を送った。「拓哉がその助言を実行したかは知らないけれど」と笑うが、下級生のころは故障がちだった左腕が強豪校のエースとなるうえで、有意義なサポートとなったはずだ。

決勝での今村投手は、1点リードの5回から救援し、8回まで1人の走者も出さない快投を見せた。頂点に手が届きかけながら、9回に同点スクイズを決められ、その後降板。延長サヨナラ負けの瞬間はベンチで見届けた。

奮闘及ばなかった投球について、父は「勝負は紙一重だったね」と残念そう。コロナ禍による自粛期間中は学生寮が閉鎖されたことで、今村投手は一時自宅に戻って生活し、夕方から近所で自主練習に励んだ。制限された環境下でも精いっぱい頑張る姿を近くで見てきただけに、「試合後の表情には満足感が漂っていた」。ねぎらうような口ぶりで話した。

東京五輪が予定通り行われていれば、6日から7日にかけて、指導する選手たちが札幌の地で活躍しているはずだった。そのことについて今村コーチは多くを語ろうとはせず、「スポーツの現場にかかわる以上、感染しないこと、そして感染させないことが大事」。見えない難敵との戦いに気を引き締め、1年後を見据えて前を向く。

コロナに負けじと、次男は東東京大会で銀メダルをつかんだ。来年は教え子たちが、東京大会で躍動してくれるはずだ。【奥岡幹浩】(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「WeLoveSports」)

今村文男氏(2016年4月18日)
今村文男氏(2016年4月18日)