「吉田沙保里」はレスリングの代名詞だった。高速タックルを武器とした強さと持ち前の明るさで「広告塔」を自認。女子レスリングだけでなく、男子も含めたレスリング競技の地位向上に貢献した。積み重ねた個人戦の連勝は206。その活躍が評価されて国民栄誉賞にまで輝いた。オリンピック(五輪)以外では注目されることもなかったマイナー競技を日本人の誰もが知るスポーツに成長させた功績は大きい。

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吉田は競技を超えた存在だった。レスリングと言えば吉田沙保里。いや、レスリングを知らない人にも名前は知られていた。レスリング界では暗黙の了解だった、世間の引退への関心は高かった。「驚いた」「残念」…。その反応が、吉田の偉大さを表していた。

吉田がレスリング界を変えた。日本が強さを誇ってきた競技だが、吉田登場前までは一般的な知名度は高くなかった。五輪の時こそメダル獲得で注目されるものの、五輪以外では話題にもならなかった。しかし、五輪初採用の04年アテネ大会で金メダルを獲得後、吉田を通してレスリングに関心を寄せる人が増えた。

積極的にメディアに露出した。テレビのバラエティー番組ではNGなしの大活躍。子どもから大人までファン層を広げていった。15年まで所属していたALSOKのCMではコミカルな演技も披露するなど、お茶の間にも存在が浸透。16年リオデジャネイロ五輪の時には「日本人が最も注目する選手」にも選ばれた。

かつては色物扱いされた女子レスリングは一気に注目度を高め、人気面では歴史のある男子を逆転した。男子の競技人口は少子化もあって減少傾向だが、女子は急激に増加。全国高校総体では13年に公開競技となり、17年には正式競技となった。昨年現役復帰した伊調馨も「レスリングが注目されるのは沙保里さんのおかげ」と先輩に感謝していた。

かつて女子プロレスの前座だった女子レスリングの全日本選手権は、テレビで生中継されるほど。底辺の拡大で、昨年の世界選手権53キロ級女王の奥野春菜(19=至学館大)ら五輪で金メダルを狙える若手も多く育ってきた。世界では決してメジャーではない女子レスリングで、日本が圧倒的な成績を残せるのは吉田がいたから。競技をメジャーにしたその功績は、現役を退いても色あせない。【荻島弘一】

◆吉田沙保里(よしだ・さおり)1982年(昭57)10月5日、三重県津市生まれ。3歳の時に、父の指導でレスリングを始める。久居高-中京女大(現至学館大)-ALSOK-至学館大職員。04年アテネから12年ロンドン五輪まで女子55キロ級3連覇。16年リオ五輪で、伊調馨に続く五輪4連覇を目指し53キロ級に出場も、決勝でマルーリス(米国)に1-4で敗れた。12年11月に国民栄誉賞を受賞。現在は至学館大でコーチを務めている。家族は母と兄2人。157センチ。