女子のエース森ひかる(20=金沢学院大ク)が個人決勝で55・860点をマークし、五輪種目で男女を通じて日本勢初の世界一に輝き、東京五輪代表を射とめた。日本勢最上位となり、日本協会の選考基準を満たした。同じ会場で開かれる来夏の大舞台でも楽しみな、東京生まれのニューヒロインが誕生した。土井畑知里(25)も2位に入り、日本女子の躍進を印象づけた。男子は堺亮介(22)が日本勢最上位の5位となり、初の五輪切符を手にした。

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森は何十回と跳ねた。試合は10回の跳躍だったが、その後の歓喜のジャンプは何度でも。

「逃しちゃったかなあ」。演技を終えて得点を待つ。中盤のジャンプで横ブレもあり、会心ではなかった。先に終えた土井畑を上回れなければ、五輪はない。祈った。そして、得点が表示されると、椅子から跳び上がった。「ビックリです!」と目を丸くしたが、さらに上があった。すぐ後、最終演技者の中国選手が4位に終わり、「まさかの優勝!」が決まると駆けだし、跳びに跳んだ。

昔は跳ぶのは7分間だった。4歳で地元の足立区のスーパー屋上にあったトランポリン遊具で初めて弾む楽しさを知った。「怖いなんて全くなく」。1回7分200円、買い物に行く母美香さんにせがんで何回も。クラブで選手コースに入る小学校低学年まで、その屋上が遊び場だった。10回で1回無料のスタンプカードは何十枚にもなった。

「もったいないから7分ちゃんと跳び続けて」。母の声に、宙返り禁止の遊具でジャンプだけを繰り返した。「始めはちょんちょん」だった跳躍は、次第に高く跳ぶための「踏み」を意識するように。ただ楽しく、それが貴重な基本練習の時間だった。この日は6メートル以上跳び上がり、3回宙返りする大技「トリフィス」を2回決めた。「7分間」の日々は、この日につながっていた。

エースと呼ばれ、重圧も大きい。ただ、今も楽しいかの答えは笑顔だった。「苦しい気持ちの方が大きいです、普段は。でもこういう結果を残すことが出来て最高。私はバカですし、何もできないので、トランポリンしかないので、ここまで頑張ってきて良かった!」。その声も大きく弾んだ。7月7日の七夕生まれで、輝く星から名前は「ひかる」。来夏は地元の晴れ舞台で輝く。【阿部健吾】

◆森(もり)ひかる 1999年(平11)7月7日、東京都足立区生まれ。4歳で競技を始める。11年世界選手権11・12歳の部で優勝、13年には全日本選手権を最年少14歳で制した。金沢学院高では総体で2年連続3冠。金沢学院大に進学後、18年アジア大会銀、18年世界選手権では個人5位、シンクロ金を獲得。ネイルが趣味で、今回はレオタードの歌舞伎をイメージ。159センチ。