14年2月3日、ソチの空港に降り立った19歳の羽生結弦は、約100人の報道陣に囲まれていた。2カ月前のGPファイナルで初優勝。世界ランク1位の堂々のソチ五輪金メダル候補だった。

14年2月、ソチ五輪表彰式で笑顔の羽生(中央)。左は銅メダルのテン、右は銀メダルのチャン(撮影・PNP)
14年2月、ソチ五輪表彰式で笑顔の羽生(中央)。左は銅メダルのテン、右は銀メダルのチャン(撮影・PNP)

個人戦の前にあった団体戦ショートプログラム(SP)で首位に立ち、手応えをつかんで迎えた13日のSP。スタート位置で軽く息を吐き、前を見据えたその顔には自信がみなぎっていた。


曲は「パリの散歩道」。最初の4回転トーループは跳び上がりから着地まで一糸乱れず成功した。スピン、ジャンプ、ステップと躍動感たっぷりにつないで、右拳を突き上げてフィニッシュ。


「足が震えていた」。そんな動揺を感じさせない、完璧な演技だった。得点を待つキスアンドクライで史上初の100点超えとなる「101・45点」を確認すると「よっしゃ!」。首位に立ち、金メダルが大きく近づいた。


だが、五輪にはやはり“魔物”がいた。優勝が見えてきたことで、無意識のうちに自分に重圧をかけていた。わずかな心の揺れの中で迎えたフリー。冒頭の4回転サルコーでいきなり転倒した。その後の4回転トーループを決めるも、3回転フリップでバランスを崩し、氷に両手をついた。その後はミスなく滑りきったが、表情には悲しげな笑みが浮かんでいた。「金メダルがなくなった」と覚悟した。


だが、直後にSP2位のチャンがミスを連発。わずか0・54点差でフリーも上回り、金メダルが舞い込み「僕が1位? オーマイゴッド!」と叫んだ。


「自分の能力を発揮できなかった。自分に負けた。うれしさと悔しさがある」


それでも表彰台の中央で、日の丸を目にすれば、自然と喜びが湧いてきた。「日本の皆さん、世界中で応援してくれる皆さん、何千、何万の思いを背負ってここに立てた。すごくうれしい。恩返しができたんじゃないかな」。


48年サンモリッツ五輪ディック・バトン以来66年ぶり史上2人目の10代の五輪王者。未来は明るいはずだったが、その後多くの試練が待ち受けていた。(敬称略=つづく)


<2014年(平26)>

2月 ソチ五輪で、史上2番目の若さ(19歳65日)で金メダル獲得

3月 世界選手権初優勝。日本人では10年の高橋大輔以来2人目

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