リオデジャネイロ・パラリンピックの自転車(視覚障害)ロードタイムトライアルで銀メダルを獲得した鹿沼由理恵(36=ウイッツコミュニティ)が、来年5月のトライアスロン世界シリーズ横浜大会出場を目指す。1日、相模原市で行われた東日本ハーフマラソンに出場後、「20年の東京を考えたら、横浜には出ておかないといけないと思っています」と明らかにした。

 鹿沼は今年6月に「肉体の究極はトライアスロン」と、自転車から転向する意向を表明。リオ前から患っていた両腕神経まひの治療と並行して、スイムの練習に取り組むなど準備を進めてきた。8月に右腕だけで8回目の手術。腱(けん)と筋肉を移植して指の機能回復を促すものだったが、経過は良好という。今後、左腕にも同様の手術を受ける可能性はあるが、昨秋から続いた治療にも区切りがつきつつあることで、トレーニングを本格化していく。

 9月4日の国際パラリンピック委員会(IPC)理事会で、20年東京パラリンピックの実施種目が決定した。しかし、トライアスロン、陸上、水泳の3競技については先送りされた。「3種目は行われると聞いていますが…」と鹿沼。視覚障害クラスが実施されるかどうかも未確定だが、同性のガイド選手の選定準備も始めている。

 クロスカントリースキーでバンクーバー・パラリンピック7位入賞の実績を持つ。その後、左肩の故障で自転車に転向して世界選手権を制し、リオで銀メダルも手にした。だが、視覚障害のタンデム(2人乗り)競技のストーカー(後ろに乗って推進力になる)として、上体を低く固定するためにハンドルを強く握り、両腕に力を込め続けたことが、神経まひを引き起こした。

 「リオでは4回ぐらい、ドクターに痛み止めを打ってもらってました」と鹿沼は笑顔で振り返る。故障は大きなマイナスになったはずだが、「手術で入院して体を動かせなくても、こうやって走ろうと思えばちゃんと走れますから。逆に休むことの大切さも知りました」。8月の手術は8時間にも及んだ。主治医からは2カ月の安静を言い渡された。それでも1カ月後の9月24日には群馬でフルマラソンを完走。その1週間後のこの日、ハーフマラソンを走り切った。

 20年東京はアスリートとしての集大成になる。あえてトライアスロンという究極の競技を選択した。鉄のようなスピリットを持つ鹿沼の、新たな挑戦がスタートする。【小堀泰男】