【大島光翔〈上〉】赤い彗星!レジェンドの父を持ち、スターに囲まれ育った「スタァ」

日刊スポーツ・プレミアムでは、毎週月曜日にフィギュアスケーターのルーツや支える人の信念に迫る「氷現者」をお届けしています。

シリーズ第12弾は、シニア初年度を終えて来季にさらなる飛躍を期する大島光翔(明大)の登場です。「スタァ」という愛称そのままに、ひときわ明るい存在感を放つ20歳。日本男子プロスケーターの草分け的存在だったコーチの父淳のように、見る人を楽しませたい一心で競技に打ち込みます。

「上編」は父が出演していたショーでの原体験、選手として歩み始めた頃のストーリーです。(敬称略)

フィギュア

   

5月下旬、真っ赤に染めた新ヘアスタイルでリンクに登場、滑り出していった大島

5月下旬、真っ赤に染めた新ヘアスタイルでリンクに登場、滑り出していった大島

氷上で燃え上がる新ヘアスタイル

5月下旬の午前8時45分、埼玉アイスアリーナのメインリンクで、整氷を終えたザンボニーがリンクから出てゆくのを見つめていた。

静寂のスケート場、やはり常設は冷える。30度近い外気との差を実感していた。

「おはようございます!」

元気な声が、静寂を破った。スケート靴姿で小走りに駆け寄ってきて、簡単なあいさつを済ますと、誰もいない氷上に滑りだしていった。

その髪の色は、真っ赤に染まっていた。

「赤い彗星」。そう呼ばれていた幼少期を持つ、ひたすらに明るいスケーターは、宇宙に漂う氷でできた天体よろしく、何か勢いを感じさせた。

「なんでかって聞かれても自分でもわかんないですけど、とにかく赤が好きで! 自分のルーティーンじゃないですけど、いつの間にか持ち物全部赤みたいな。本当に意図せずって感じです」

取材日の前日に思い付きで染めたという新ヘアスタイルまでも、燃え上がるように。期間限定というその姿に、そのルーツを感じていると、懐かしむように教えてくれた。

「本当に、どこにいっても赤い小さいのがいるって感じでしたよ、たぶん。いっぱい、遊んでもらってたなあ」

幼少期の大島。2歳のころにはリンクに立っていた(本人提供)

幼少期の大島。2歳のころにはリンクに立っていた(本人提供)

プロだった父淳に連れられて2歳でリンクへ

ブレードが付いた靴は履いているが、冷たい氷の上をハイハイしていた。

「もう本当立つこともできずに。本当に周りのお姉さん、お兄さんに世話してもらってて」

2歳、東京・高田馬場のシチズンプラザでコーチだった父に連れられていく毎日だった。

リンクの壁際で四つんばいで遊んでいるヘルメットをかぶった子どもは、父の生徒やコーチ仲間によくかわいがってもらった。

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スポーツ

阿部健吾Kengo Abe

2008年入社後にスポーツ部(野球以外を担当します)に配属されて15年目。異動ゼロは社内でも珍種です。
どっこい、多様な競技を取材してきた強みを生かし、選手のすごみを横断的に、“特種”な記事を書きたいと奮闘してます。
ツイッターは@KengoAbe_nikkan。二児の父です。