【中庭健介〈上〉】渡辺倫果の躍進引き出した指導の原点 4回転が人生を変えた

日刊スポーツ・プレミアムでは、毎週月曜日にフィギュアスケーターのルーツや支える人の信念に迫る「氷現者」をお届けしています。

シリーズ第11弾は指導者編として、中庭健介(41)の来歴を辿ります。2011年に現役引退後、福岡を拠点に指導者としての道を歩み始め、2021年からは千葉県船橋市で「MFアカデミー」のヘッドコーチを務めています。22-23年シーズンは、渡辺倫果(20=TOKIOインカラミ/法政大)や中井亜美(15=TOKIOインカラミ)らが活躍を見せ、中庭コーチの指導にも注目が集まりました。

全3回の「上編」では、フィギュアスケートを始めた経緯と、現役時代の人との縁を描きます。(敬称略)

フィギュア

   

04年の全日本選手権、自己最高位の2位。優勝した本田と表彰台に

04年の全日本選手権、自己最高位の2位。優勝した本田と表彰台に

中庭健介(なかにわ・けんすけ)

1981年10月15日、福岡県福岡市生まれ。小学3年から石原美和コーチのもとで本格的に競技開始。99年から12年連続で全日本選手権に出場し、3度表彰台入り。11年1月の冬季国体で引退。同4月から福岡県福岡市のパピオアイスアリーナを拠点に指導者としての道を歩み始め、21年から千葉県船橋市の「MFアカデミー」でヘッドコーチに就任。日本スケート連盟バッジテスト7級。日本フィギュアスケーティングインストラクター協会会員。

4月東京体育館、一般客に紛れてみた国別対抗

観客席からじっとリンクを眺めていた。

2023年4月15日。東京体育館。

今季の締めくくりとして、世界国別対抗戦が繰り広げられていた。

アリーナの2階席。中庭健介はジャッジと反対側の観客席に腰を下ろした。1人でチケットを握り、一般客に紛れ込んだ。

「今回はたまたまですけど、東京にいるとアイスショーも近くであったりして、スケートに触れる機会やチャンスがあって。そういうのはいいですよね。ライブでしか伝わらないことってあるので、すごくよかったです」

男子フリーの6分間練習。隣の席のファンは、佐藤駿(19=明治大)を応援しているようだった。そのお祭りムードの会場にも、少しずつ緊張が漂い始める。

導く立場となった今、演技を見守る視線はやはり「コーチ」の目になる。

公式練習や6分間練習の組み立て方。選手と指導者との距離感。

「他のコーチがどんな雰囲気なのかは見るようにします。どのタイミングで、どう選手を送り出したとかですね」

2011年4月から福岡でコーチの道を歩み始めた。2021年からは千葉県船橋市に拠点を移し、MFアカデミーのヘッドコーチとして指導にあたるようになった。

リンクへ向かう直前、何度も声をかけられてきた。そして、何度も声をかけてきた。積み重ねてきたからこそ、胸に刻んでいる。

コーチがその子の演技を劇的に変えることはできないこと。それでも、自分が発するその言葉には、確かな影響力を伴っていること。

「一言でガラっと変わることがあるので。良くも悪くも。めちゃくちゃ言葉は大切です。先生は一言で選手をダメにすることを理解しないといけない。ほんとに難しいです。言葉に責任を持たないといけないです」

大声で檄を飛ばすことはしない。今その瞬間に適した言葉を探し、対話し続ける。

その指導法に辿り着いたのは、自らの境遇とも密接に重なる。

少年だった頃の思いを、目をクシャっとさせて打ち明ける。

「スケートをやることを望んでいたわけではなかったので。どちらかと言えば、辞めたかったんです」

02年、国体成年男子で優勝。福岡大の大学生だった

02年、国体成年男子で優勝。福岡大の大学生だった

小3から競技、中学進学前に「辞めてもいいですか」

1981年10月15日。福岡県福岡市に生まれた。

小学2年生になると、近所の香椎スポーツガーデンへ通い始めた。両親や兄妹が経験者だったわけではない。自宅から自転車で通える距離にスケート場があったことが、競技に触れたきっかけだった。

最初の1年は週1回のペースでスケート教室に参加した。のびのびと滑っていたところ、コーチの石原美和から本格的に競技を始めないかと誘われた。

本文残り70% (3863文字/5558文字)

岐阜県不破郡垂井町出身。2022年4月入社。同年夏の高校野球取材では西東京を担当。同年10月からスポーツ部(野球以外の担当)所属。
中学時代は軟式野球部で“ショート”を守ったが、高校では演劇部という異色の経歴。大学時代に結成したカーリングチームでは“セカンド”を務めるも、ドローショットに難がある。