【平井絵己〈中〉】人生の転機はリヨン 運命のパートナーとアイスダンスに向き合う

日刊スポーツ・プレミアムでは、毎週月曜日にフィギュアスケーターのルーツや支える人の思いに迫る「氷現者」をお届けしています。

シリーズ第15弾は元アイスダンス選手で、現在はコーチとしてフランス、日本を拠点に活動する平井絵己さん(36)が登場します。

全3回でお届けする第2回は現在につながるアイスダンス、そしてかけがえのないパートナーとの出会いを振り返ります。(敬称略)

フィギュア

   

平井絵己が本格的にアイスダンスに取り組んだのは大学4年から。写真は、水谷太洋と出場した10年全日本選手権のショート・ダンス

平井絵己が本格的にアイスダンスに取り組んだのは大学4年から。写真は、水谷太洋と出場した10年全日本選手権のショート・ダンス

関大4年の西日本選手権、二刀流で出場

Yes We Can-。

数日後に控えた米大統領選挙に向け、バラク・オバマ氏の発言が対抗馬ジョン・マケイン氏の言葉と合わせてメディアをにぎわせていた。

そんな2008年11月1~3日。フィギュアスケート界では西日本選手権が開かれていた。

毎年のことながら、12月の全日本選手権に向けた予選となっており、独特な緊張感がある。会場は大阪の名所といえる海遊館から程近い、大阪プールだった。

関大4年となっていた平井にとって、慌ただしく、落ち着かない3日間だった。初日となった11月1日から、1日で3度の演技が待っていた。

平井の名は女子シングル、加えてアイスダンスにあった。

当時のアイスダンスはコンパルソリーダンス(CD)、オリジナルダンス(OD)、フリーダンス(FD)の3つで構成されていた。午前から公式練習が組み込まれ、午後1時過ぎにCD、4時過ぎにOD、そして夜に女子ショートプログラム(SP)が行われた。

「最初のアイスダンスの印象…。シングルとは違って、難しかったですね。組むことによって上達していくけれど、自分だけでなく、相手もいての競技。スケジュールも環境も、合わせるのは難しいなと思いました。それでも面白いし、やりがいがある。『もっと深く知りたい』という思いになっていた頃でした」

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大学までラグビー部に所属。2013年10月に日刊スポーツ大阪本社へ入社。
プロ野球の阪神を2シーズン担当し、2015年11月から西日本の五輪競技やラグビーを担当。
2018年平昌冬季五輪(フィギュアスケートとショートトラック)、19年ラグビーW杯日本大会、21年東京五輪(マラソンなど札幌開催競技)を取材。
21年11月に東京本社へ異動し、フィギュアスケート、ラグビー、卓球などを担当。22年北京冬季五輪もフィギュアスケートやショートトラックを取材。
大学時代と変わらず身長は185センチ、体重は90キロ台後半を維持。体形は激変したが、体脂肪率は計らないスタンス。