【島田高志郎〈上〉】衝撃受けた三宅星南との出会い経て 小4で故郷離れ母と岡山へ

日刊スポーツ・プレミアムでは、毎週月曜日にフィギュアスケーターのルーツや支える人の信念に迫る「氷現者」をお届けしています。

シリーズ第13弾は、昨年末の全日本選手権で2位と躍進し、さらなる飛躍が期待される島田高志郎(21=木下グループ)の歩みをたどります。

「上編」は、故郷の愛媛県松山市でスケートに出合い、小学生にして大きな決断をするまで。スケートの楽しさに満ちたその世界が、広くなっていく姿を描きます。(敬称略)

フィギュア

   

22年全日本選手権、フリーの演技を終え歓喜の表情。自己最高の2位となり大舞台で初の表彰台

22年全日本選手権、フリーの演技を終え歓喜の表情。自己最高の2位となり大舞台で初の表彰台

島田高志郎(しまだ・こうしろう)

2001年(平13)9月11日、愛媛県松山市生まれ。6歳からスケートを始め、小4で競技に本格的に打ち込むために母と岡山県に移住。12年全日本ノービスB2位などで頭角を現す。15年全日本選手権では11位で新人賞を獲得。17-18シーズンから拠点をスイスに移し、ランビエル・コーチに師事。国際大会では今季のロンバルディア杯2位、GP英国大会4位など。趣味は音楽・YouTube鑑賞、料理、景色がいい場所巡り。176センチ。 

22年全日本選手権、メダルを手に笑顔を見せる2位の島田(左)。優勝は宇野、3位友野

22年全日本選手権、メダルを手に笑顔を見せる2位の島田(左)。優勝は宇野、3位友野

6歳で初リンク、故郷松山でとりつかれた魅力

「連れてって、連れてって」

3人兄弟、長男次男と年が離れた小柄な三男は、親にそうせがんだ。

毎日、毎日。

「陸の上を歩く、走るとは全く違う、もう立つことすらままならないっていう感覚の魅力にとりつかれたんです。初めてだったんですけど、なんだろう、できないことがすごく楽しくて!」

思い返したのは6歳で初めて氷の上に乗った感触。いまでもその時の、不自由さに引きつけられて家族に懇願した記憶が残る。

故郷、愛媛県松山市の「イヨテツスポーツセンター」、地元で私鉄運営など100年以上続けてきた伊予鉄グループが営む施設内に、冬場から春先まで開場するスケート場だった。

ボウリング場、バッティングセンター、夏はプール。アクティブに体を動かそうとなれば、足を運ぶ地元のレジャーの場。そこで、リンクと出合った。

「最初はただただ楽しみにいこうと。次男と母と行ったのが始まりですね」

自宅から車で15分ほど。動き回るのが大好きで、勉強よりも運動という性格だった。

「体操、夏のスイミングスクールに通ったり、テニススクールも一時通ったり、ヒップホップダンス習ったり、サッカーも愛媛FCのクラブにちょっと入っていたり。いろんなスポーツを網羅して、最後にたどり着いたのがスケートって感じでした」

四国ではウインタースポーツは盛んだったとは言えない。そんな土地で育った運動好きにとって、最後尾に待っていたのが運命を変える感触だった。

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スポーツ

阿部健吾Kengo Abe

2008年入社後にスポーツ部(野球以外を担当します)に配属されて15年目。異動ゼロは社内でも珍種です。
どっこい、多様な競技を取材してきた強みを生かし、選手のすごみを横断的に、“特種”な記事を書きたいと奮闘してます。
ツイッターは@KengoAbe_nikkan。二児の父です。