【平井絵己〈上〉】高橋大輔と歌子先生 間近で見ていた憧れの関係「将来は私も…」

日刊スポーツ・プレミアムでは、毎週月曜日にフィギュアスケーターのルーツや支える人の思いに迫る「氷現者」をお届けしています。

シリーズ第15弾は元アイスダンス選手で、現在はコーチとしてフランス、日本を拠点に活動する平井絵己さん(36)が登場します。

倉敷FSC創成期に高橋大輔さん(37)らとクラブの礎を築き、アイスダンス転向後は世界の舞台でも活躍。縁もゆかりもなかったフランスでの生活に至るまでの歩みを、全3回でお届けします。

第1回は小学生から大学生の過程、今も理想としている指導者との出会いを振り返ります。(敬称略)

フィギュア

   

15年NHK杯アイスダンスSD、息の合った演技を見せる平井絵己・マリオン・デラアスンシオン組

15年NHK杯アイスダンスSD、息の合った演技を見せる平井絵己・マリオン・デラアスンシオン組

平井絵己(ひらい・えみ)

1986年(昭61)10月14日、岡山・倉敷市生まれ。9歳からシングル選手として本格的に取り組み、05年に関大へ入学。同大学院に進む。08~09年にアイスダンスへ転向。全日本選手権は2位、4大陸選手権は8位が最高。マリオン・デラアスンシオンと6季歩み、17年に現役引退。21年に結婚。現在はフランスと日本でコーチとして活動。

倉敷FSC、1つ上に「大ちゃん、尊敬できる先輩」

今から28年前になる出来事を、鮮明に覚えている。

1995年5月5日、こどもの日。平井の実家からほど近い「ウェルサンピア倉敷」で、イベントが開催されていた。3年前にできたスケートリンクは、市民の憩いの場になっていた。

当時小学3年生だった少女は、父に連れられて初めて氷に乗った。壁を頼りに右足、左足…と動かす。徐々に慣れ始めたころ“まさか”の事態に見舞われた。

「こけたんですよね。それで氷に手をついた時に、後ろの人に左手をひかれてしまいました」

すぐに「大丈夫!」とは言えなかった。

動揺を隠しきれず、そのまま病院へと向かった。

検査を受けると、骨にヒビが入っていた。もちろん、スケートは怖くなった。

だが、患部が治ったころ、再び父にリンクへと連れて行かれた。

スポーツに対して恐怖心を持ってほしくない-。

そんな親心だったという。

スケートを始めたころ(本人提供)

スケートを始めたころ(本人提供)

平井は保育園の頃から元気な少女だった。

習字、お絵描き、新体操…。そんな習いごとと比べても、不思議とスケートに心をひかれる自分がいた。

「『もう1回リンクへ…』となった時は、正直スケートをしたくないし、行きたくなかったです。でも無理やり連れて行かれたら、面白かった。風を感じるんです。なかなか普通の生活では味わうことができない感覚が、面白かったです」

その時、チラシで見つけたスケート教室で、楽しみながら基礎を学び始めた。1年ほどして倉敷FSCの代表である佐々木美行に「一緒にやらない?」と誘われた。

2期生としてクラブに入り、本格的に選手としての道を歩み始めたのは9歳。周囲に比べれば、少し遅れてのスタートだった。

1期生にいたのが高橋大輔だった。当時を振り返り、平井は穏やかに笑った。

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大学までラグビー部に所属。2013年10月に日刊スポーツ大阪本社へ入社。
プロ野球の阪神を2シーズン担当し、2015年11月から西日本の五輪競技やラグビーを担当。
2018年平昌冬季五輪(フィギュアスケートとショートトラック)、19年ラグビーW杯日本大会、21年東京五輪(マラソンなど札幌開催競技)を取材。
21年11月に東京本社へ異動し、フィギュアスケート、ラグビー、卓球などを担当。22年北京冬季五輪もフィギュアスケートやショートトラックを取材。
大学時代と変わらず身長は185センチ、体重は90キロ台後半を維持。体形は激変したが、体脂肪率は計らないスタンス。