【垣内珀琉〈下〉】田中刑事の言葉、ステファンに声をかけた全日本…人生が変わった中3冬

日刊スポーツ・プレミアムでは、毎週月曜日にフィギュアスケーターのルーツや支える人の信念に迫る「氷現者」をお届けしています。

シリーズ第54弾は垣内珀琉(19=ひょうご西宮FSC)が登場します。3歳で競技を始め、ノービス時代から活躍。今季は11月7日開幕のNHK杯(大阪・東和薬品RACTABドーム)でグランプリ(GP)シリーズに初出場します。

全3回の最終回となる下編では、中学2年生から現在までの道をたどります。2023年からは3年連続でスイス合宿に参加し、25年6月にはブリアン・ジスランが台湾で開いたジャンプ合宿に出席。その行動力が培われたのは、中学最後のローカル大会がきっかけでした。(敬称略)

フィギュア

◆垣内珀琉(かきうち・はる)2006年(平18)4月18日生まれ、兵庫県西宮市出身。西宮市立苦楽園中―N高。3歳で競技開始。全日本ノービス選手権は15年から4年連続で出場し、16年2位(B2年目)、17年2位(A1年目)。ジュニアグランプリ(GP)シリーズは22年から3年連続で出場し、最高成績は23年第5戦ブダペスト大会3位。全日本ジュニア選手権は17年以降に計7度出場。全日本選手権は22年から3年連続出場。趣味は鉱石採集、古銭収集、浮世絵鑑賞。好きな漫画は「こちら葛飾区亀有公園前派出所」。合計点の自己ベストは24年ジュニアGPシリーズ第3戦バンコク大会の209・50点。身長173センチ。

スイス・シャンペリーで合宿に参加した時の様子。左から4人目が垣内珀琉。同5人目がランビエール(本人提供)

スイス・シャンペリーで合宿に参加した時の様子。左から4人目が垣内珀琉。同5人目がランビエール(本人提供)

胸に響いた田中刑事のメッセージ

2025年1月末のことだった。

師の言葉が、垣内の胸に響いた。

「珀琉の行動力はすごい。これって、必要なことだよ。やりたいことがあって、その環境があるのなら、どんどんチャレンジしてほしい」

声の主は、サブコーチだった田中刑事(写真)。翌月以降に指導拠点を倉敷へ移すことになり、その日がひょうご西宮アイスアリーナでの最後のレッスンだった。

練習後に授けてくれたメッセージは、心の奥深くに刺さった。

「刑事先生から最後にそう言ってくださって、胸にジーンときました」

確かに自分は、必死に足を動かしてきたのかもしれない。

ギヨーム・シゼロンと一緒に写真に収まる垣内珀琉(本人提供)

ギヨーム・シゼロンと一緒に写真に収まる垣内珀琉(本人提供)

2023年春からスイス・シャンペリーの練習に参加。今季はショートプログラム(SP)の振り付けをアイスダンスで北京五輪金メダルのギヨーム・シゼロンに依頼した。6月には台湾へ渡り、羽生結弦らの指導に携わったブリアン・ジスランにジャンプの教えを請うた。

どれも自ら声をかけて、実現したものだった。

シゼロンが振り付けたショートプログラム(SP)を披露する垣内珀琉(2025年9月撮影)

シゼロンが振り付けたショートプログラム(SP)を披露する垣内珀琉(2025年9月撮影)

田中の言葉が、これまでの競技人生と重なる。

「それまで淀(粧也香)先生や長光(歌子)先生にも行動力を褒めていただくことはあったんですけど、刑事先生の言葉が胸に響いて。あらためて、スケート人生は1回しかないと思いました。特別に意識しているわけではないですが、やりたいことはどんどんやろうと思っています」

そう思えるようになった根底には、今も「人生を変えた試合」と振り返る出来事がある。

話は中学時代にさかのぼる。

中3の愛知県選手権は「人生を変えた試合」

中学2年生だった2020年秋。

ジュニア2年目はコロナ禍で心身を追い込んだこともあり、不眠症を患った。初めて「スケートを辞めたい」とも思った。

その時は淀や長光ら指導者の支えや家族のサポートもあり、競技を続ける決断をしたが、その後も体調を崩すことはしばしばあった。

「眠れなくなるわけではなかったですが、息切れが激しくなったりしました。中学は自分の中でも苦しい時期でした」

全日本ジュニア選手権でも、中学1年から順に20位、13位、14位と上位層とは差がある結果が続いた。

中学3年生だった2022年1月末の全国中学校スケート大会は合計151・04点で4位となったが、3位の中田璃士には3・50点届かず。ノービスのころとは打って代わり、表彰台とは縁遠い時期が続いた。

そんな折に、コーチの淀から「このままシーズンを終えるのではなくて、せっかくなら愛知県の大会に出てみないか」と声をかけられた。提案されたのは、2月下旬の知事賞争奪愛知県選手権への出場だった。

中学最後の大会。気合が入った。

大会前も体調不良で十分な練習が積めず、棄権も選択肢にあったが、譲らなかった。

「棄権するのはもったいないなと思って。どういう結果でも出ようと思いました」

淀から「何かあったら酸素ボンベもあるからね」と気にかけられる中、日本ガイシアリーナでの本番に臨んだ。

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岐阜県不破郡垂井町出身。2022年4月入社。同年夏の高校野球取材では西東京を担当。同年10月からスポーツ部(野球以外の担当)所属。
中学時代は軟式野球部で“ショート”を守ったが、高校では演劇部という異色の経歴。大学時代に結成したカーリングチームでは“セカンド”を務めるも、ドローショットに難がある。