中学生のころから描いていた「競輪選手になる夢」が14年越しでかなった。119期の米嶋恵介(29=岡山)だ。スポーツとは無縁の8年4カ月間のサラリーマン生活を経て、選手への道を切り開いた。


米嶋恵介
米嶋恵介

中学まで熊本で過ごし、競輪ファンだった父の影響で選手になりたいと思った。家の近くに自転車競技の名門校・九州学院があり入学を考えたが、160センチの小柄な体格では無理と考え、鹿児島・れいめい高に野球留学した。

「高校卒業後は岡山にあるJFEスチールに就職しました。16年の夏に知り合いが、師匠となる岩本純さん(40)と食事をする機会を作ってくれて、昔は選手になる願いを持っていたと話したら『今からでもなれるよ』って。ただ、そのためには退路を断たないといけないと言われました」

当時24歳。心は揺れたが、迷ったまま時が過ぎた。17年には元公務員の皿屋豊(38=三重)が34歳でデビューした話題も目にした。だが、安定した生活を捨てることは簡単な決断ではなかった。

「18年7月に退社して選手を目指すことに決めた。岩本さんの話を聞いてから2年もたっていた」。117期は不合格だったが、練習を重ねて119期生に合格。そして、今年5月にデビュー。願いはかなった。

「7月に松阪で完全優勝した時の賞金が、サラリーマン時代の月給より多かったのに驚いた。これがプロの世界なので頑張ってランクアップしたい」。同期に比べてステップアップのために費やせる時間は少ないが、全力でS級へ駆け上がる覚悟はできている。